〜美女連環の計〜

第1話「絶望の舞姫と孤独な鬼神」

 虎牢関の戦いの後、洛陽を焼き払い、新都長安へ遷都をした董卓。
それぞれがそれぞれの思惑を秘め、反董卓連合軍は解散。そのため董卓に対抗しうる勢力はなく、彼の暴虐は都の人々を苦しめる。

董卓は長安の北西に強固な城を築き、一族をそこへ住まわせた。
 長安遷都の翌年、董卓は自ら大師となった。周囲の者に自分を“尚父”と呼ばせ、一族には、ことごとく高位高官を与えた。

董卓の孫・董白がまだ幼い段階で自分の領地を与えられたのもこの頃である。

――――――

「董白様、この度はおめでとうございます」
李儒はそういって玉座に座る董白へ拝礼をする。
「……」
一方董白の表情は暗く、玉座に肘を付いたまま気だるげにため息をついている。
「どうされました?」
李儒が聴くが、董白は答える気になれなかった。
「そのような言葉はいりません、下がりなさい」
「……はは」
李儒も深く追求することはなく、すぐにその場から姿を消した。


 李儒が去ったあと、董白は大きくため息をついた。
『下らない……』
董白はただそう思っていた。
 そう、表向きは董白が祖父から領地を与えられたということになっている。
しかし、これはそんなものではなかった。
「董尚父は、ただ己の栄華を誇りたいだけでは無いですか……」
董白は吐き捨てるように言った。
 そう、彼女は自分が利用されているということをはっきりと分かっていた。
董卓の栄華・暴虐を誇るための道具……。
「本当に下らない……」
領地を与えられたがために、彼女はひとところに留まらなくてはならない。
つまりは……
「呂華……」
たった一人の少女に会いに行くことすらできないということ。
「元気にしているのでしょうか……」
彼女が考えるのはそればかりだった。

 

 

 董白の憂鬱をよそに、董卓はその力をさらに大きくしていった。
人々は董卓の暴虐に押さえ込まれ、恐怖により支配されていた……が。

そんな中、彼を殺そうとする者も存在した。

 三公の一人・司徒王允は董卓の暴虐を見かね、ひそかに彼を暗殺する機会をうかがっていた。
しかし、彼のそばには常に李儒が目を光らせ、冷静にして計算高い董卓本人にも隙はなかったため、暗殺など夢のまた夢だった。

そうして日々をむなしく過ごす彼に、董卓暗殺を自ら名乗り出た少女がいた。

少女の名はチョウ蝉。この世のものとは思えない、“人”を超えた美貌を持つ少女だった。

王允の養女として育てられていた彼女は、義父である王允のため、彼の諌めも聞かずに、命を捨てる覚悟で董卓に近づいた。

長安――――――


 長安の都は闇に覆われ、しんと静まり返っている。
そんな静寂の中、ある屋敷から筝曲の音色が流れてくる。
 他の屋敷よりは一回り以上も大きな屋敷、おおよそ人の住む屋敷の大きさではない。

長安に住むものでこの屋敷を知らないものはいない。

そして人が近づくことも滅多にない。
理由は簡単だった。
……この屋敷には暴虐の魔王が住んでいるのだから。

 屋敷の中も外と同じで闇が満ちている。
その中でただ一室、ほのかな明かりの漏れている間があった。
 筝曲の音もそこから流れていた。

他の間よりも大きめに造られたこの間にいるのは、たった二人。
 
 一人は間の中央でわずかな明かりに照らされ、筝曲を奏でながら舞う少女。

 そしてもう一人はその舞を満足げに眺めながら酒を口に運ぶ董卓だった。

「……」
筝曲を奏でながらも舞を怠ることなく、少女は一目見ただけで相手を幻惑してしまうような妖艶な雰囲気を醸し出していた。
 その美しさは舞だけでなく、舞う少女自身も美しい容姿をしていた。
この少女こそ、王允の養女として董卓の暗殺を謀る者・チョウ蝉だった。

「……」
舞いながらも、チョウ蝉は必死に耐えていた。
 
呪いの様に体に絡みつく董卓の視線に。

決して表情には出さず、ただ舞を舞うことだけに集中して、機の到来を待っている。
今この場にいるのはチョウ蝉と董卓の二人だけ、邪魔者はいない。

タン

チョウ蝉は一歩董卓のもとへと歩を進める。
董卓は特に気にした様子もなく酒を口に運んでいる。
『あと十歩……』
あと少し近づくことができれば、簪とともに髪にさして隠している毒針を董卓の体に突き立てることが出来る。

タタン

『あと八歩……』
すぐ近くにいるというのに、董卓はやはり酒を口に運ぶだけだった。

タタン

あとは跳躍一つで董卓の体に毒針を突き立てることが出来る。
『あなたは女に殺されるのです……』
チョウ蝉はそう言って髪に隠してある毒針に手をやる。
その時だった。

「何をそんなにおびえている……?」
「!!」
突然かけられた言葉に、チョウ蝉は完全に舞を止めてしまっていた。
「……」
何も答えないチョウ蝉に、董卓は続けた。
「どうした……俺を殺すのではないのか?」
「!!」
チョウ蝉は何も考えられず、ただ董卓に視線をやった。
 全てを見透かす瞳で、魔王が自分を眺めている。
「所詮は小娘……殺気を隠すような真似などできんか……」
『最初からすべて……分かっていたのですか……』
チョウ蝉は悔しさに唇をかむ。
「王允の差し金か」
「!!」
答えなかったが、チョウ蝉の表情が何よりも雄弁に物事を語っていた。

“もし董卓に知られるようなことがあれば、一族郎党は皆殺しとなるだろう……”

チョウ蝉が家を出る前に、王允が言っていた言葉。
駄目……それだけは駄目……

 義父へなんと申し開きをすればいいか……自分を信頼してくれた義父になんと謝ればいいのか……

「ぁ……」
董卓は残酷な表情で、チョウ蝉をあざ笑っている。
「……」
「あぁ……あぁぁあ」
次の瞬間、チョウ蝉の身体が跳ね上がる。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

もはや自分に逃げ道などなかった。だからせめて……

『刺し違えても、あなたを殺します!!』

チョウ蝉は髪から毒針を抜き、震える腕で董卓に突きかかった。

「ふん……」
董卓はそんなチョウ蝉の姿を鼻で笑いながら、その大きな体からは想像も付かない速さで立ち上がると

ドガッ

「きゃあ!!」
一切の手加減をせずにチョウ蝉を殴り飛ばした。
「……っぐぅ!!」
 小さなチョウ蝉の体は宙に浮き、そのまま床に叩きつけられる。あまりの痛みに声も出せない。

ガッ

「くぁっ」
床に倒れるチョウ蝉の身体を踏みつけ、董卓が小さく呟く。
「愚かだな……」
「くっ!!」
身体を踏みつけられながらも、チョウ蝉は董卓を睨みつけていた。
「……」
董卓はしばらくそれを眺めていたが、やがて肩を震わせ始める。
「クククク……」
それが笑いを押し殺しているということに気がつくのに、チョウ蝉にはしばらく時間が必要だった。
「な、何がおかしいのです!!」
チョウ蝉はありったけの憎悪をこめて董卓を睨む。
 董卓は笑いを押し殺したまま呟いた。
「クククク……限りなく愚かだが……同時に面白い女だ」
その瞳は明らかにチョウ蝉を見下している。
「いいだろう、その瞳に免じて……貴様の義父の命をしばらく繋いでおいてやる」
「えっ?!」
あまりにも意外な言葉に、チョウ蝉は間の抜けた声を出していた。
 董卓はやはり笑いを押し殺したまま言った。
「クククク……それまでに」
「……」
董卓は淡々と最後の言葉を放った。
「俺を……殺してみせろ」
「!!」
董卓はそれ以上何も言わずに、その場を去っていった。
「……」
残されたチョウ蝉は痛む身体を起こしながら思った。

『私ごときに……この怪物は殺せない』

涙が止まらなかった。
傷の痛みのせいか、董卓を殺し損ねた悔しさか、義父への申し訳なさか……

いずれにしろ、チョウ蝉の泣き声は誰にも届いていなかった。

 それからの日々、チョウ蝉は抜け殻のように毎日を過ごしていた。

どうしても殺せない、自分には殺せない

脳裏を駆け巡るのはそればかりだった。
何度も董卓へ刃を向けた。
その刃は近づく前に叩き落され、自分の身体に痣が増えていくだけだった。
 しかし、そんな自分を董卓は決して殺そうとしない。
諦めから自ら命を絶とうとすると、董卓は彼女の目の前で大量の人間を殺す。

“貴様が死ねば……誰がこうなるかわかるだろう?”

董卓は決まってそういった。
ただ自分を拾ってくれた義父のため、チョウ蝉は生き続けた。

 ここに来てからどれだけの時がたったのか、チョウ蝉は力なく庭に立ち尽くしている。
その瞳からは涙が溢れ、止まらない。
服の間から見える白い肌には、数々の痣があった。
「ずいぶんと苦しんでおられるようですな……」
「?!」
そんなチョウ蝉に声をかけた一人の男。
「あなたは……」
男の顔を見たチョウ蝉の顔が険しくなる。
「おやおや、どうしましたか? そのように怖い顔をして」
男はそう言って大げさに首を振る。
「何の用ですか……李儒殿」
チョウ蝉はそう言ってさらに険しい表情で男・李儒を睨みつける。
「用というほどのものでもありませんがね」
李儒はそう言いながらチョウ蝉のほうへ歩いてくる。
「……」
チョウ蝉のすぐ隣で立ち止まった李儒は、冷たい瞳でチョウ蝉に語りかけた。
「あなたごときが董尚父を手にかけることなど……一生かかっても無理です」
「?!」
心を見透かすような冷たい瞳に、チョウ蝉の表情が凍りつく。
「そして……あなたのような者が、こんなに苦しむことは無いのです」
李儒の言は、言葉こそ優しいが口調には明らかに“毒”が含まれている。
「……なにが、言いたいのです」
チョウ蝉は険しい顔を崩すことなく、李儒へ視線を向ける。
「楽になられてはどうでしょうか? 王允殿も分かってくださるでしょう」
李儒はそんなことを呟く。
「楽に……それは」
「どういうことか、くらいはお分かりでしょう」
李儒はそう言ってチョウ蝉に何かを差し出す。チョウ蝉は渡されるがままにそれを受け取る。
「これは私からの……せめてもの手向けてございます」
李儒はそういったかと思うと、次の瞬間にはその場から姿を消していた。
「……これは」
李儒に渡されたものを見て、チョウ蝉の表情が絶望に染まる。
 チョウ蝉の手にあるのは、何の変哲もない短刀。
それはどこか鈍く、そして怪しく輝いていた。

「……」
チョウ蝉は短刀の刃を眺める。
 死んだような自分の顔が移っている。
「……はぁ」
チョウ蝉は何かを諦めたようにため息をつく。
「お父様……申し訳ありません」
チョウ蝉は小さく呟いた。
「どれだけ必死になろうとも……自分にはあの方は殺せませんでした」
そう言って短刀の刃を自らの胸に向ける。
自分が死ねば、義父とその一族は皆殺しになる……今まで恩を受けていながら、何一つ報いることが出来ずに仇を返してしまうとは。
 チョウ蝉にはただそれが無念だった。
「くっ」
しかしもうどうしようもない、そんな絶望が彼女に刃を振るわせた。
 恐怖から、気がついたらまぶたを閉じていた。

ザシュッ

刃が肉を裂く音。あたりに広がる血の香り。
だが……
「え……?」
いつまでたっても、チョウ蝉の身体を刃に貫かれた傷みが襲うことはなかった。
 恐る恐るまぶたを開ける。
「あ……」
「……」
いつの間にそこにいたのか、一人の男がチョウ蝉の刃を胸の寸前で止めていた。

ポタ……ポタタ

咄嗟に刃を止めたためか、男の手は短刀の刃を握っており、男の手から赤い鮮血が流れ出ている。
「ぁ……」
チョウ蝉はゆっくりと男の方へ目をやる。
「……」
そこにあったのは仮面のような無表情、抜け殻のようだったチョウ蝉など比べ物にならないほどの空虚さをその瞳に秘めた男。
「呂布……奉先様」

 


「……」
チョウ蝉がその名を呼んでも、男・呂布は無感動な表情を崩さない。

ぐいっ

「きゃ」
呂布はおもむろにチョウ蝉から短刀を取り上げると、庭の池に投げ捨てた。

ぽちゃん

人を殺すことが出来る凶器が出すモノにしてはあまりにも間の抜けた音。
 それにチョウ蝉はすっかり毒気を抜かれてしまった。
「あぁ……」
今になって自分が何をしようとしていたのか気がつき、チョウ蝉はその場に尻餅をつく。
「あぁぁ……」
まず身体が震えだし、次に瞳から大量の涙が流れてきた。
「あぁぁぁ!!!」
チョウ蝉は両手で顔を覆い、声を上げて泣いた。
「……」
呂布はそんなチョウ蝉をしばらく眺めていたが
「泣く……な」
とだけ呟いた。

「……え?」
その声の優しさにチョウ蝉は驚いて顔を上げる、呂布は声の優しさに似合わぬ無表情のままだった。
「お前は、いつも……泣いて、いる」
「!!」
誰にも聞いてもらえないと思っていた自分の泣き声を、この人は確かに聞いてくれていた。
 それがただ、チョウ蝉には驚きだった。
「だから……泣く、な」
呂布がもう一度言った。
「あ……」
いつの間にか、チョウ蝉の瞳から涙が止まっていた。
「……それで、いい」
呂布はそれだけいうと、何事もなかったようにチョウ蝉へ背を向ける。
「!!」
なぜかは彼女自身も分からなかったが、チョウ蝉の体はいつの間にか動いていた。

ぐっ

チョウ蝉はとっさに彼の戦包を掴んでいた。
「……?」
呂布が振り向く。
「あ……」
チョウ蝉は自らが取ってしまったとっさの行動に戸惑いつつ、何か言おうとして呂布の手に目をやる。
「せめて、手当てをさせて下さいませんか?」
「……」
呂布は無感動な表情で血まみれになった自分の手を見る。
「任せる……」
呂布はただ、そう呟いた。

 自ら命を絶とうとしたチョウ蝉を救ったのは“鬼神”と恐れられる人外の武人・呂布だった。

“なぜ私のことを助けてくださったのですか?”

チョウ蝉の問いに呂布は何の迷いもなく答えた。

“お前が……泣いていたから”

チョウ蝉はその言葉に驚きを隠せなかったが、呂布にとってそれ以上の真実はなかった。
 そう、彼は本当にチョウ蝉が“泣いていた”から彼女のことを救っただけだった。
チョウ蝉に特別な感情を抱いていたわけでなければ、彼自身が正義感に溢れていたわけでもない……。

チョウ蝉には分かった。
“鬼神”と恐れられるこの武人の本当の姿は……その純粋さゆえに誰とも分かり合えない永遠の孤独を抱えた者だということが。

『この方なら……』
そう思ったチョウ蝉は呂布に全てを話した。
呂布はしばらく無言だったが、やがて小さくつぶやいた。

“それで……おまえが泣くことをやめるのなら”

そうして、孤独な鬼神は自らの主に刃を向けた。

 

 

 

戻る  次へ

inserted by FC2 system