〜美女連環の計〜

第2話「魔王の最期」


一九二年、四月―――――。


「何だと?」
玉座に座してまぶたを閉じていた董卓は、李儒の言葉を聞いてゆっくりとまぶたを開く。
「呂布めが反旗を翻したというのは本当か?」
董卓の問いに、李儒ははっきりとうなずいた。
「はは……今長安の都はその噂で持ちきりでございます。董尚父誅殺の詔勅まで出ていると言う話です」
「……詔勅?」
董卓はあごに手を当て、しばらく思案をする。
 脳裏を掠めたのは、怯えきった献帝の姿でなければ、呂布の無表情でもない。

“自分をありったけの憎悪で睨みつけていた一人の女”

「ククク……」
「?」
不意に笑みをもらした董卓に、李儒は首をかしげる。
「あの女……とうとうこの俺の首筋に刃を届かせたか」
そう呟きながら、董卓は玉座より立ち上がる。

シャン

腰に挿していた剣を引き抜き、董卓は声を上げる。
「面白い!! 後はその刃でこの董卓の首を掻き切ることが出来るかどうかだな!!」
董卓は確かな足取りで歩を進めていく。
「呂布はどこだ?!」
「宮中に控えていると聞きました」
李儒の言葉を聞き、董卓の口が釣りあがる。
「今すぐに兵を出せ、まずは俺に逆らった呂布を始末する」
「各地の武将を呼び戻しますか?」
「いらぬ!! あやつはこの俺がじきじきに八つ裂きにしてやる」
董卓の迷いのない背中を見ながら、李儒は呟いた。
「兵のほうはすぐに手配しましょう……あとの事も私にお任せください」
「……」
言わなくともわかると言いたいのか、董卓は何も答えずにその場を去った。

宮中、未央殿―――――


「董尚父!! 門前に兵が集まっております!!」
「迷うな、進め」
輿の中にいる董卓の声は落ち着いている。

ガガガガガガガッ!!!!

言われたとおり、董卓の兵士たちは迷わず輿を進める。
「董尚父のご登殿ぞ!! 道をあけろ!!!」
輿を引いていた兵士が叫ぶが、門前の兵士は動こうとしない。
 それだけでなく、門前の兵士は目の前に止まった董卓の輿を取り囲み、真ん中の一人が声を上げた。
「詔勅である!! 武器を捨て、輿から降りて拝聴されよ!!!」
「……」
門前に立ちふさがる兵士の言葉に、董卓はしばらくしてから答えた。
「すぐに読め……聞いてやろう」
やはり董卓の声はどこか静かで、落ち着いている。


兵士はしばらく考えるようなそぶりをしていたが、詔勅を開くとその内容を読み上げ始めた。
「大師・董卓!! 漢王朝の臣下としての分を越え、朝廷に混乱を招き、都を暴虐に陥れる!!」
「……」
董卓は黙って聞いている、輿の中にいるためその表情は見えない。
「さらに悪逆無道の限りを尽くして国を惑わし、ただ己の私腹を肥やす!!!」
「……」
「よって大師・董卓を国に仇なす“逆賊”とし、一族郎党全て極刑とする!!」

バッ!!!!

兵士が詔勅を読み終わるのと同時に、董卓が輿から姿を現した。
 纏う雰囲気は限りなく静かで、どこまでも澄み切っている。
「……」

ザッ

「ひっ」
董卓が一歩を踏み出すと、周りの兵士が全て一歩下がった。
「……呂布はどこだ?」
腰の剣を抜きながら、董卓は静かに呟いた。
「待たれよ!! 佩剣をしたまま宮中へ入られるおつもりか?!」
「……呂布はどこだと聞いている」
兵士の言葉になど耳を貸さず、董卓は一歩一歩確実に歩を進めてくる。
 周りの兵士たちは董卓の威圧に完全に押され、じりじりと後ろへ下がっていく。
「と、止まられ」

ザン!!!!

まだ董卓を止めようと声を上げかけた兵士の首が飛んだ。
「……」
董卓は血塗られた剣を手に持ったまま宮中へと入っていった。

「今だっ!! 董卓を取り囲め!!」
董卓が宮中へ入ったのと同時に、一人の男が声を上げた。
「王允……」
董卓は声の主のほうへ目をやる。
 王允は緊張した面持ちで董卓を睨みつけている。

ダダダダダッ

宮中に控えていた兵士たちが董卓を取り囲む。
「……」
「さぁ!! 董卓の首をとれ!!!」
「……」
王允が声を上げるが、その声はむなしく宮中に響いただけだった。
董卓の圧倒的な存在感に、全てのものが完全に萎縮し、一歩も董卓に近づくことができないでいる。
「どうした?」
董卓が一歩を踏み出すと、兵士たちはおびえた表情で一歩下がる。
「くっ」
王允も董卓の圧力に押され、ゆっくりと後ろに下がっていく。
「王允……女を使い俺の首に刃を突きつけることができたことは褒めてやろう」
「……」
「しかし、貴様ごときに俺は斬れん」
「!!」
王允は、董卓の言葉を否定できなかった。


「……」
やがて、宮中の真ん中まで来た董卓は、不意に立ち止まる。
「?」
王允や董卓を取り囲む兵士たちは、突然のことにどうすればいいかとまどう。

すぅぅぅ

董卓は空を見上げ、深く息を吸い、次の瞬間

「呂布よ!!! 今ここに姿を現せ!!! 俺がじきじきに始末してやろう!!!!」

天をも貫かんばかりの勢いで、今まで押さえていた怒りを爆発させた。
「!!!」
董卓の迫力に押され、彼を取り囲んでいた兵士たちはその場に尻餅をついてしまう。
 そのときだった

ザッ

董卓の囲みを掻き分け、一人の男が現れる。
「……」
男の顔には生気がなく、手には化け物のような大矛が握られている。
「……」
現れた男を見て、董卓は満足げに口の端を吊り上げる。
「ようやく現れたか、呂布よ」
呂布は黙って歩を進め、董卓と少しの距離を置いたところで足を止める。
「女にたぶらかされるとは、愚かだな」
「……」
呂布はしばらく黙っていたが、無感動な表情を全く崩さずに口を開いた。
「董卓……貴様を、殺す」
「ククク……」
呂布の言葉を聞いた董卓は、血に濡れた剣の刃をふるい、呂布へと向けた。


『あとは、この男に任せるしかない』
情けないことだと知りながらも、呂布と董卓を眺めながら、王允はそう考えた。
『真っ向からの勝負で、董卓に勝ち目は無い』
そう思いながら二人の様子を伺う。
「……」
先に動いたのは呂布だった。
彼は無造作に大矛を振り上げると、それを地面に突き立てた。

ビシィッ!!!!

大矛は地面に深く突き刺さり、大きな亀裂を作った。
「……」
そして呂布はその大矛から視線を逸らすと、腰の大剣を抜き放った。
「?」
周りのものは呂布の突然の行動に首をかしげる。
『……』
王允はそれを見ながら、呂布らしいと思うことしか出来なかった。

「ふん、後悔しても知らんぞ?」
「……」
呂布の行動を鼻で笑いながら、董卓は一歩前に進む。
 呂布も董卓の一歩にひるむことなく、一歩を踏み出す。

ザッ

二人の距離が縮まる。

ザッ

ザッ

あと一歩、それでお互いの刃が届く距離になる。
「……」
全ての者が事の成り行きを傍観することしか出来なかった。

そして、お互い最後の一歩が踏み出された。

ザッ!!!

「!!」
やはり先に動いたのは呂布だった。

ヒュン

常人には決して捉えることが出来ない光速の斬撃。
しかし
「ぬん!!」

ガキン!!!

董卓は持ち前の怪力で、その斬撃を叩き落した。
 呂布はひるむことなくさらに打ち込む。
しかし董卓も負けていない、大きな体には似合わぬ素早さで呂布の攻撃をかわし、的確な反撃をする。
「……」
鬼神と互角に勝負をする魔王に、周りのものは改めて恐怖する。
そして周りのものの存在など完全に無視して、鬼神と魔王は刃を振り続ける。

ガキンッ!!!!

何度かの鍔迫り合いのあと、二人は一度距離を開く。
「……」
「……」
お互いに何も言わない。
語ることなど何もないのか、剣を通して果て無き会話を繰り返しているのか。
しかし、それも終わり……


二人の纏う空気がさっきのそれとは違うものに変わっていた。
『もう終わる……』
二人の様子を見守りながら、王允は思った。

ダッ!!!

距離を置いていた二人が同時に走り出す。
 お互いの存在を消すために。

二人の距離は見る見る縮まっていく。
どちらの一撃が相手を切り伏せるか、次の瞬間には答えが出ているだろう。

ブン!!!

鬼神と魔王はお互いに剣を振り上げる。
 その時だった。

ガシッ!!

「?!!!」
一人の少女が董卓の体にしがみつき、その体を抑える。
「!!」
呂布もすぐに気がついた。


「貴様」
董卓は自らにしがみつく少女・チョウ蝉に目をやる。
「……」
チョウ蝉は何も言わない、ただ董卓を見つめている。
 しかしその瞳に秘められているのは憎悪でも怨恨でもなかった。

“限りなくまっすぐな信念”

チョウ蝉の瞳を染めている色はその一色だった。

董卓にしがみついたまま、チョウ蝉はゆるぎない瞳で董卓を見つめ続けている。

“これがきっと、自分に出来る最期の……”

そう思いながら董卓を見つめ続けるが、チョウ蝉はふと気がついた。

董卓は、しがみつくチョウ蝉を振り払おうともがかない。
 確かに、今チョウ蝉を振り払ったところで、董卓が呂布に斬られるのは必然だった。

それにしても……

不思議に思ったチョウ蝉だが、董卓の顔に浮かんだ表情を見て言葉を失う。
「……」
董卓の表情は、チョウ蝉のよく知る彼のものではなかった。
 どこか穏やかで、優しささえ感じる全てを受け入れた表情。


「……」
チョウ蝉は董卓の表情に戸惑う。そんなチョウ蝉の戸惑いを知ってか知らずか、董卓が、チョウ蝉にだけ聞こえる声で呟いた。
「よく……やった」
「?!」
チョウ蝉は何もいえなかったが、確かに聞いた。
 しかし次の瞬間には、董卓はいつもの表情で呂布に向かっていた。

呂布は董卓にしがみついたチョウ蝉に目をやる。
「……」
チョウ蝉もいつの間にかこちらを見ていた。
 その瞳は決意に満ちている。
「……」
呂布にも一切迷いなどなかった。そしてチョウ蝉が何を言いたいのかもわかった。

ブン!!!!

だから呂布は、やはりその無表情を崩すことなく、無感動に刃をふるった。

ザシュッ!!!!

宮中に響き渡る、肉を貫く音。
 全てのものの時が止まっていた。

カランカラン……

その時を動かしたのは一つの音。
 地面に一本の剣が落ちる音。
「ぐ……」
それは董卓が握っていたものだった。
「……」
呂布のふるった剣は董卓の心臓を貫いている。

 彼にしがみついていたチョウ蝉もろともに。

ドスッ

呂布が二人から刃を引き抜く。


「……か、はっ」
チョウ蝉は口から大量の血を吐き、その場に崩れ落ちる。
「……」
呂布は倒れかけたチョウ蝉の体を支えるが、表情に変化は無い。
 ただ、一言を呟いた。
「これで……良かったのか?」
呂布の問いに、チョウ蝉は答えた。

「……はい」

その表情は呂布と対照的な幸福に満ちたものであり、全てのものがかすんで見える美しい笑顔だった。
今まで何かを美しいと感じたことがない呂布でさえ、その笑顔は美しいものだと理解できた。

 

 

「ありがとう……ございます」
「礼は……いらん」

最期のやり取りは、たったそれだけ。
「……」
次の瞬間には、チョウ蝉の瞳は閉じられていた。

呂布はチョウ蝉の体を支えたまま、地面に膝を突いて崩れ落ちる董卓に目をやる。
「がはっ!!」
大量の血が地面にぶちまけられ、もはや董卓の命は風前の燈火だった。
「……」
呂布は董卓から目を逸らさない。
「ククク……」
今、最期を迎えるときになっても、董卓は笑っていた。
「なにが……おかしい」
いつも間にか、呂布は口を開いていた。
 董卓はその笑みを崩すことなく、答えた。
「貴様は……何故俺に刃を向けた?」
呂布は迷わずに答えた。
「“この女が泣いていた”……出来るのなら、泣かせたくなかった」
「ククク……なるほど、な」
董卓は続ける。
「貴様は……そうして“誰も泣かぬ世”を創ろうというのか」
「……そう、だ」
やはり、呂布の答えに迷いは無い。
「ククククク……」
やはり董卓は笑っている。
「愚かだ……実に愚かだ……」
そう、董卓は言った。
「貴様のような方法で、この世に“平等”や、“幸福”など……もたらすことなど、できん」
「……」
「貴様が、言う……のは、何も知らぬ、者……が、言える……ただの“理想”で、あり“戯言”だ」
そう言いながらも、董卓は思い出す。
 彼も良く知っているのだ。

その昔“理想”だけを追い求め続けた男の事を……

 西涼にて生を受けたその男の生まれは貧しく、日々が死ととなりあわせだった。
身を裂く寒さ、足りぬ食物。
 生きるためには何でもやった。
そんな男の“願い”は唯一つだった。

全ての人間が“平等”に生きること……。

その理想の実現のためだけに、男は戦うことを選び、夢を追い続けた。

 官を得てからは誰かのために戦い、得た富はすべて他のものに分け与えた。
どんな身分のものとも分け隔てなく接し、いがみ合うものたちの間に立った。

 しかし、どれだけ男が夢の実現に身を砕こうと、夢はどこまでも夢のままだった。

男がどれだけ夢の実現のために生きようとも、人の間に“差”は存在し“溝”が消えることはなかった。

 飢えに苦しんで死ぬものもいれば、理不尽な戦に巻き込まれて死ぬものもいた。

男は自分のやることが無駄だと思い知らされた。

それでも男は夢を追うことを諦めなかった、理想を追い続けた。
 苦しむものを救おうと各地を転々とした。人々の間に消えない“溝”を少しでも埋めようとした。


 しかし、いつからだろうか……
その男は思うようになった。

このようなことでは、人々は“平等”になれない……

ならばどうすればいいのか?
 先の見えない暗闇を探り続けた結果、男は一つの結論に至った。

一度全てを壊し、一から作り直せばいい……

どれだけ自分が手を汚してもいい、汚名を着せられてもかまわない。自分が天下を手中に治め、理想の世を作り上げる……

それからのことだ、限りなき暴虐を行い、各地のさまざまな富を我が物にし、男はこの世に混乱をもたらした。
全てのものが“平等”になれる世を創るために理想を追っていた男は、いつの間にか“魔王”として人々に恐れられていた。


それでいいと思っていた。
 全てのものを恐怖で縛りつけ、天下の富全てを我が物にする。
そうすれば人々の間に“差”は存在しなくなる。
しかし、全ては理想の実現のためだと思っていたが、今思えば、男はそのとき既に、この世に絶望していたのだ。

“俺には誰かを救うことなど出来ない……”

いつの間にかそうやって、男は大切なものを失っていた。

今この時になっても、男・董卓には何が真実か分からない。
 だが、それも良かった。
「呂布……よ」
董卓はかつての自分と同じように、理想だけを追い求めている目の前の男に語りかけた。
「貴様、が……その、“理想”とやら、を……貫いて、生き続けられるか」
「……」
「地獄の、底から……見届けて、やろう」

 

 

ザザザッ

次の瞬間、董卓の体は周りを取り囲んでいた兵士たちの槍や剣に滅多刺しにされていた。

「我は董卓っ!!! 限りなき暴虐の果てに善悪の区別すら超越した永遠の“平等”を目指した者なりっ!!!!!!」

その言葉を最期に、董卓は事切れた。

こうして、中国全土を混乱に陥れた魔王・董卓は死んだ。

 

 

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