〜各地の群雄〜

第3話「界橋に降りし槍龍」

 

 孫堅が死んでからすぐのことだった、公孫サンは袁紹との戦のために、界橋に兵を進めていた。
 公孫サンと袁紹が対立した理由は簡単だった。
 公孫サンと袁紹は、ともに豊かな土地として知られる冀州を狙っていたのだが、お互いに牽制しあう二人は領地を空けることを恐れて冀州に攻め入ることが出来ないでいた。
 そこで袁紹は公孫サンに「ともに冀州を攻めないか?」と使者をよこした。
 人の良い公孫サンはその話を鵜呑みにしてしまい、冀州へ向けて兵を出した。
 しかし、これこそが袁紹の謀略だった。
 袁紹は冀州を治める韓フクにも「公孫サンが攻めてくる、私に冀州を譲れば公孫サンにおびえることは無いのでは?」と使者を送り、見事に冀州を我が物にした。

 このことに怒った公孫サンは自身兵を率いて袁紹を攻めることにし、両者は界橋で激突することになった。

界橋――――――

 戦の始まりをただひそかに待ち続ける両者、何ともいえない静寂が戦場を包んでいる。
「ふあぁぁ〜」
 そして、そんな緊張とは全く無縁の男。
「劉備殿……全くあなたの肝の太さには感嘆させられるぞ」
 公孫サンは半ばあきれたように、隣でつまらなそうにしている自らの客将・劉備へと声をかける
「あっはっは!! 褒めるな褒めるな」
 劉備はいつもの如く、緊張感の感じられない笑い声を上げる。
「褒めてねーだろ馬鹿兄貴」
 劉備の後ろで吐き捨てるように行ったのは義弟の張飛。
「申し訳ござらん、公孫サン殿……これが劉備玄徳という男なのです」
 半ば失笑をもらしているのは張飛と同じく劉備の義弟・関羽。
「いや、劉備殿たちがいてくれて私は本当に救われている、感謝しているぞ」
 公孫サンはそう言いながら、目の前に立ちはだかる袁紹軍を静かに見る。
「劉備殿、どう見る」
「んあ? 何が」
「私たちに勝機はあるのか?」
 劉備はしばらく考えていたが、ゆっくりと首を振る。
「わかんねーな、ただ向こうにはあんたの戦い方を熟知した“麹義”とか言う将がいるんだよな? その奥には袁家の二枚看板顔良・文醜が控えてるときた……厳しいかもな」
「しかし、兵数はこちらのほうが上だ……士気が下がらぬうちに攻めるべきでは?」
 公孫サンの言葉に、劉備もうなずく。
「あぁ、そうだな……こんままにらみ合ってても仕方がねぇ」
 そう思っていたのは公孫サンたちだけではなかったようだ。

ガガガガガガッ!!!!

 袁紹軍の将が突然公孫サンの陣へ突撃してきた。
「おおっと!! アイツは文醜だな?! どうするよ?」
「無論決まっている!!!」
劉備が言うよりも早く、公孫サンは槊を片手に自慢の白馬陣を率いて文醜を迎え撃とうとした。
「おいおいおーい!! ったく伯佳サンはどうしてあそこまで馬鹿正直かな」
 劉備はそう言いながら両隣の義弟に声をかけた。
「伯佳サンを助けに行くぜ、雲長!! 益徳!!」
 劉備たちも馬を走らせた。

 ぶつかり合った公孫サンと文醜。
「ぬおぉぉぉぉぉ!!!!」
「くっ!!」
 袁紹軍の二枚看板というだけあり、文醜の強さは圧倒的だった。
 公孫サンは次第に押されていく。
「ほぅ!! この俺とここまで戦えるとは!! さすがは白馬義従!!!」
 文醜は楽しげにそう言いながら、槍を用いて公孫サンの槊を弾く。
『く!! ここまでの強さとは』
 しかし公孫サンはひるまなかった、弾かれた槊を手から離すことなく、振り返す。
「伯佳サン!! 下がってろ!!」
「させるか!!」
 劉備たちが公孫サンの加勢に向かおうとするが、それを邪魔する者がいた。
「てめぇは麹義だな!! しかたねぇ、雲長!! 益徳!!」
 劉備はそう言いながら麹義軍に応戦する。
 だが、内心劉備はあせっていた。
麹義は守りを主体の戦法でなかなか討ち取れない。
そうしている間にも公孫サンは追い詰められていく。
「ちっくしょぉ!!!」
 張飛と関羽も圧倒的な力で雑兵を斬りつけているが、公孫サンを助けに行けるほどの余裕は無い。
「ここまでだ!! 公孫サン!!!」
 文醜が公孫サンの手から槊を弾き飛ばす。
「あっ!!」
 武器を失った公孫サンに、文醜の攻撃を止める術はなかった。
 しかし

ヒュン!!!!

「!!!!」
 突然、公孫サンと文醜の間を割るように何かが飛んでくる。
 よく見れば、それは公孫サンの手から弾き飛ばされた槊だった。
 文醜は仕方なく馬を引いて体勢を立て直す。
「あ?! なんだ?!」
 劉備たちも突然のことに驚く。
「え?!」
 公孫サンが槊が投げられたほうを見ると

タタタタタタタッ

 そこにいたのは一人の武将。
 全身がボロ布に覆われているため顔は分からない。
 武将の手には槍が握られており、迷うことなく文醜へと向かっていく。

ヒュ!!!

「な!!」
 その槍は早く、文醜でさえ避けるのがやっとだった。
「!!」
 
シャッ!!!

謎の槍使いは攻撃の手を緩めることなく、馬にも跨らずに馬上の文醜を相手にひるむことなく戦っている。
「えぇい!! 引くぞ!!」
 今は分が悪いと思ったのだろう、文醜は見事な統率で軍を率いて本陣へと戻ってしまった。

「はぁ……はぁ」
 公孫サンはなんとか命拾いした、しかし公孫サンにはそのことに安堵するよりも気になることがあった。
 自分を助けてくれた目の前の槍使い……自分は彼を知っている。
「じょ……常龍児!!!」
 公孫サンは叫んでいた。
 公孫サンの呼びかけに、謎の槍使いは顔を覆っていた布を取り除く。
 その男の顔は、忘れるはずもない。
「公孫サン殿、お久しぶりです」
 虎牢関の戦いの折、窮地の自分を救ってくれた槍使い・常龍児だった。
「おぉ!!」
 公孫サンは馬から下りると、常龍児のもとへと走っていく。
「また会えるとは思ってもいなかったぞ……私はまたそなたに助けられてしまった」
「何を……私は自らの主を助けたまでです」
「え?!」
 常龍児の言葉に、公孫サンは間の抜けた声を出してしまう。
「今……なんと?」
「私はあなたにお仕えするためにここに参上したのです……私をあなたの軍に加えていただけますか?」
 公孫サンはその言葉に心から喜んだ。
「もちろんだ!! そなたがいれば私は怖いものなどないぞ!!」
「公孫サン殿、では今こそ、私の名を名乗らせていただきます……。私は趙雲、字は子龍……これからはあなたの将として全力を尽くしましょう」

「なんだなんだ?! 伯佳サン、知り合いか?」
 そうして手を取り合って再会を喜んでいた公孫サンたちの下に、劉備が駆けつける。
「あぁ、このものは虎牢関で董卓軍に討たれそうになった私を助けてくれた男なのだ」
「へぇ〜そいつはすげぇ」
 劉備はにっこりと笑うが
「……フン」
「ちょ、趙雲?」
 どうしたのか、趙雲は劉備の顔を見るなり不機嫌になった。
「……?」
「兄者、どうされた?」
 少し遅れて、関羽と張飛も追いついた。
「おや? この者は」
 関羽が趙雲の姿を確認して、公孫サンに問う。
「お初にお目にかかります、関羽殿、張飛殿……虎牢関でのご高名は耳に届いております。俺はたった今公孫サン殿の配下に加えていただいた者で趙雲、字を子龍と申します」
 劉備への険悪な表情はどこかへ行き、趙雲は公孫サンが紹介する前に礼節を尽くして関羽と張飛へ名を名乗った。
「そうか、先ほどは公孫サン殿の危機を救っていただけたようで、助かりましたぞ」
「いえ、当然のことをしたまでです」
 そうして話していた時だ
「趙雲って言うのか……俺は劉備玄徳だ、よろしくな」
 劉備はそう言って趙雲へ手を差し出す。
 しかし趙雲は冷ややかな視線を劉備に向け
「俺はあなたに名を名乗った覚えは無い、気安く名を呼ばないでもらいたい」
 そっけなくそういっただけで、手を握り返しもせずに本陣へと帰っていった。

 


「あ? なんだあいつ……なぁ雲長、俺あいつになんかしたか?」
「いや、某に聞かれましても」
「ははっ、なんかテメーが気にいらねーんじゃなかったのか?」
「んだと益徳テメ!!」
劉備たちの言い争いを耳にしながら、公孫サンは趙雲の去って行ったほうを見つめ、首をかしげた。

「趙雲」
 本陣で槍を磨いていた趙雲に、公孫サンが声をかけた。
「何でしょう、殿」
「その、なんだ……」
公孫サンは気まずそうに口を開いた。
「この前も会ったときも思っていたのだが……何故そなたは劉備殿をそこまで嫌うのだ?」
「……」
 趙雲はしばらく黙り込んでいたが、やがて吐き捨てるように語りだした。
「前にも言いましたね……俺は“弱い者の味方”です……あなたの下に来たのも、失礼ながらあなたが“弱かった”からです」
「……」
 趙雲の言葉が胸に刺さったが否定はできず、公孫サンは黙って趙雲の次の言葉を待つ。
「だが、俺は“強くなろう”としている者にしか味方をしません、公孫サン殿……あなたは絶対に強くなられる方だ……私はそのために手を貸しているにすぎません」
「……」
「ですが!! あの劉備という男はどうです?! 黄巾の乱の鎮圧に一役買ったほどの力を持ちながらいつまでも自分で立とうとせずに“弱いもの”の振りをしていつまでも誰かに助けてもらっている!! この世の中には助けてもらうことさえ出来ない弱者が大勢いるのに……力を持ち、弱き者を救えるはずのあの男が“弱い者の振り”をしている!! 俺は……それが、許せません。なぜ関羽殿や張飛殿があんな男の下についているのかも理解できない」
 涼やかな雰囲気を纏う普段の彼からは想像も出来ない怒りようだった。
 それは、全ての弱者を救いたいと願うあまりの、まっすぐな怒りだった。
「そうか……わかった」
 公孫サンは静かにそう言うと、さらに趙雲の瞳をまっすぐ見て続けた。
「しかし、お前は勘違いしている」
「え?」
「劉備殿は弱い振りなどしていない……ただ自分に正直に、精一杯生きているだけだ」
 趙雲は首を振る。
「まさか……」
「今のお前を見て、私は将来、お前には私ではなく彼のもとで戦ってほしいと思うようになった」
「ありえません、彼は十分力を持っています、俺が力を貸す必要はない」
「そうか……だが趙雲、お前にもいずれ分かるときがくるはずだ……関羽殿や張飛殿と同じようにな」
 公孫サンは自信満々でそう言いきったが、趙雲にはやはり分からなかった。

 しばらく後、再び公孫サンの陣営に麹義が兵を率いて攻めてきた。
「ここは俺に任せてください」
 趙雲は自ら先陣を望む。
「だな、俺たちと趙雲でアイツは何とかするから、伯佳サンは様子を見といてくれ」
 劉備がそう付け加えたが、趙雲は納得が行かないという顔をしていた。
「待っていただきたい、あのような小物、俺一人で十分です」
「じゃあ周りの雑魚は俺らに任せて麹義を討つのに専念しろよ、趙雲は」
「ふん、俺からすれば麹義も雑魚ですが……まぁいいです、お任せします、ただ」
「あん?」
「先ほども言ったはずです、俺の名を気安く呼ばないようにと」
 劉備はやれやれとため息をつき
「あぁ分かった、悪かったな」
「……」
 劉備と趙雲の不仲(というよりは趙雲が一方的に劉備を嫌っているのだが)は心配だったが、公孫サンとしても趙雲一人に任せるのは心配だったので、劉備たちにも出陣を頼むことにした。

「はぁっ!!」
 趙雲は持ち前の槍捌きで敵を屠り、迷いなく進んでいく。
「やっぱすげえな!! あいつ!!」
 戦いながら、劉備が隣の関羽へ言う。
「はい、私もあそこまでやるとは思いませんでした、類まれな槍術の才能です」
 関羽も劉備の言葉にうなずく。
「ま、あいつに任せとけば麹義は何とかなる、雲長はその辺の雑魚を頼む」
「心得た」
「益徳、お前も頼むぜ」
「ま、新参者にもちょっとは手柄を譲ってやるか」
 関羽と張飛はそう言いながら袁紹軍の兵向けて突撃していった。

「貴様!! 先ほどは突然の奇襲で文醜殿を退けたからといい気になるなよ!!」
 馬上から麹義が槍を構えながら突進してくる。
「……」
 趙雲は何も言わない。
「くらえ!!」
 そう言って麹義が槍を突き出そうとしたときだ。

ザッ

「なっ!!」
 気がつくと、槍を握っていた自分の右腕がなくなっていた。
「あまり喋らないでいただけますか?」
 麹義の腕を刎ね飛ばした趙雲は、そのまま麹義へと突進していく。
 その瞳には冷たく燃え盛る“負”の炎が揺らめいている。
「ひ、ひぃ!!」
 腕と一緒に戦意も失っていた麹義に、趙雲は死の宣告を下した。
「今の俺は……とても機嫌が悪いのです」

ザンッ!!!

 次の瞬間には、麹義は腕だけでなく首も失っていた。
 槍に付いた血を払いながら、趙雲はゆっくりと後ろへ目をやる。
 そこには、兵卒相手に戦う劉備の姿があった。

ギリッ

 何故か、槍を持つ手に力がこもった。

「すっげえなぁ!! 雲長!! 益徳!! あいつ、麹義を一瞬で片付けちまったぜ?!」
 劉備が兵卒を斬りながら言った。
「某たちも負けていられませんな」
「そうだな!!」
 関羽と張飛がそれぞれ袁紹軍の兵を吹き飛ばしながら答えた。
「よぉし!! 俺も!!」
 劉備もそう言って雌雄一対を振るう。
「うぉっ!!」
 しかし、関羽や張飛のように一騎当千の力を身に秘めているわけでもない劉備は、負けはしないものの、兵相手にも多少苦労してしまう。
「ちょ、やべぇ!!」
 兵の剣を受けていると、後ろからもう一人の兵が自分にむかって槍を突き出している。
「兄者!!」
「って馬鹿かお前!!」
 関羽と張飛が助けに入ろうにも、無駄に突出していたためすぐには助けに行けない。
「ってちょっと待て!! 俺もしかしてマジでやばいんじゃねーのか!!」
 と、どうするべきか考えていたときだ
「ッ!!」
劉備は何かの気配を感じて、馬から無理やり転げ落ちる。

ドシュッ!!!

 次の瞬間、劉備と戦っていた兵の体が後ろから槍に貫かれ、劉備の体のすぐ横を通り抜けて、後ろに迫っていた兵をも突き殺した。
「!!」
 槍の持ち主は、麹義を片付けた趙雲だった。
 間一髪というところで、趙雲は劉備が戦っていた兵を一度に屠った。
「危なかったですね……」
 趙雲は劉備と目を合わせようとせず、小さく呟いた。
「さすが趙雲」
「やるじゃねーか!!」
 ようやく駆けつけることが出来た関羽と張飛はそう言って笑うが、劉備は難しい顔をしている。
「じゃあ趙雲、馬鹿兄貴の護衛は任せたぜ!!」
「頼む」
 趙雲に任せれば安心と踏んだのか、関羽と張飛は再び兵卒の群れの中へ突撃していった。

「……趙雲、お前」
 劉備は未だに目を合わせようとしない趙雲へ声をかけた。
「さっき、袁紹の兵と一緒に俺も殺すつもりだっただろ……」
 劉備は咄嗟に馬から落ちていなければ、確かに兵ごと趙雲の槍に貫かれていた。
 劉備の言葉に、趙雲はしばらく黙っていたが
「命拾いしましたね……どこまでも悪運が強い」
 冷たい瞳でそう呟いた。
「……」
 劉備はしばらく黙り込んでいたが、やがてにっこり笑うと
「あっはっは!! おもしれぇ!!! 次はちゃんと当ててみろよ!!」
 そう言って再び馬に跨った。
「ご安心を、俺は一度失敗した方法は使いません……次はどうするか、楽しみにしていてください」
 趙雲は趙雲でそう答えて、最後にもう一言付け加えた。
「あと、しつこいですね……俺の名を気安く呼ばないでください」

 麹義が討たれたことで、袁紹は守りを固めるようになった。
 攻めようにも顔良・文醜の二枚看板は強く、思うように決着は付かない。
 そうして時々ぶつかってはまた仕切りなおしと、戦はいつ終わるかもしれない消耗戦の様相を呈してきた。
「はぁ〜やってらんねぇ」
「くす……どうしたんですか? 玄徳様」
 自らの幕舎で休む劉備に、一人の女性が声をかける。
「いや、なんかにらみ合ってばっかで面白くねぇんだよ」
 寝台に寝転びながら、劉備は大きなため息をつく。
「私は玄徳様が危ない目にあわないのなら、それで良いです」
「かんる〜、うれしいこといってくれるじゃねーか」
 甘流と呼ばれた女性は劉備の正室で、後の甘夫人である。
 慎ましやかで気の弱い女性で、清楚な雰囲気を纏う、まさに劉備とは正反対の印象の女性だった。
 その割には二人の夫婦仲はよく、仲がよすぎて義弟たちにあきれられることも多い。
「でもよぉ、なーんかやっとかねーと体なまるよなぁ」
「関羽様のように書をお読みになってはどうですか?」
「それは盧植先生のところでこりごりだ……」
「では張飛様の調練のお手伝いをされては」
「俺が手伝ったらかえって邪魔になる……」
 なんだかやる気のない劉備に、甘流は苦笑をもらす。
「じゃあ何か玄徳様がしたい事を自由にすればよろしいじゃありませんか」
「そーか、じゃ遠慮なく……」
「え? きゃあ!!」

がばっ

 劉備は突然寝台から起き上がり、甘流を押し倒す。
「え?! ちょっと玄徳様」
 寝台に押し倒された甘流は突然のことに目を白黒させている。
「自由にしろってことだからな〜」
 劉備は意地の悪い笑みを浮かべている。
「え!! な、なな何をするつもりですか!!」
 などといいながらも甘流も理解しているのだろう、顔を真っ赤に染めている。
「い、いいいけません!!! こんなところで!!! な、ななな何を考えているんですか玄徳様!!!」
「好きにしろっていったのは甘流じゃねーか」
「そーゆー問題じゃありません〜!!!!!!」
そんな時だった。
「ん?」
 劉備は背後に視線を感じて後ろを向く。
「あ、お前は趙雲」
「え、えぇぇっ!!!!」
 気がつくと、幕舎の外で趙雲が心底冷たい瞳で劉備を見ていた。
 甘流はあわてて劉備の手から抜け出して乱れた服を調える。

 


「なんだ? いるなら声かけてくれよ〜」
「かけました、“すみません”を五回……“失礼します”を七回……“死ね”を十六回それぞれ言いましたが、全て無視されたので失礼ながら勝手に幕舎を開けさせていただきました……後いい加減俺の名を呼ぶの止めていただけますか、それとも、あなたは言葉を理解できないのでしょうか?」
 精一杯の皮肉のこもった言葉だった。
「あっはっは、そっか、そりゃ悪かったな……ってなんで“死ね”がダントツで多いんだよ」
「気になさらず、とりあえず殿がお話したいことがあるらしいです、すぐに来ていただきたい」
「あぁわかった、すぐ行くって言っといてくれ……っておーい」
 趙雲は劉備の答えを聞く前にその場を去ってしまった。
「なんだよ、なぁ甘流……」
「あ、あんな恥ずかしいところ見られてどうして平気なんですか玄徳様のバカー!!!!」
「ぐおっ!!」
 振り向いた劉備の顔面に甘流の投げた杯が直撃した。

「で? どうしたんだ伯佳サン」
 幕舎に訪れた劉備に、公孫サンは書簡を差し出す。
「あ? どうしたってんだよ……」
 劉備は渡されるままにその書簡に目を通す。
「っておいおい!! これ董卓からの書簡じゃねーか!!」
 書簡を読み終えた劉備が驚きの声を上げる。
「そうなんだ、董卓が都から詔を出してきた……」
「ははっ、董卓サンも好き放題だねぇ……」
「それで……その詔、どうするべきだと思う? 劉備殿の意見を聞かせてくれ」
 公孫サンの言葉に、劉備は考える。
 詔の内容は、このままでは共倒れになりかねない戦を中断せよという和睦の勧めで、袁紹の元にも同様のものが送られているという。
「……いいんじゃねぇか?」
 劉備はしばらく考えてから言った。
「これ以上やりあっててもほんとに共倒れだ、そうなる前に軍を引いたほうが賢いんじゃねーか? きっと袁紹もこっちが引くって言えば喜んで軍を引くぜ?」
「やはりそうか……」
 公孫サンは納得できないという表情だったが、彼もこの戦が無意味なものになりかけているとわかっているらしく、仕方なく了承した。

 董卓の詔により、袁紹と公孫サンはひとまず和解する。
 お互いに兵を引き、自らの領地へと帰っていった。
 しかし、両者の遺恨は消えたわけではなく、数年の後、公孫サンと袁紹は再び激突し、片方が歴史から姿を消すことになる。
 公孫サンは界橋の戦いをはじめ、多くの劉備の活躍に感謝し、劉備を平原の相に封じた。

「何だよ馬鹿兄貴、せっかくいいもんもらったのにうれしくねぇのか?」
 張飛の言葉に、劉備は浮かない顔をしていた。
「何だよ、おい馬鹿兄貴」
「今こんなもんもらっても仕方ねーだろ?」
 劉備は小さく呟いた。
 界橋の戦を終えてからしばらく後、董卓が呂布に殺害されたという話が広がった。
 さらには……
「曹操サンが三十万の大軍を手に入れたんだぜ?」
 劉備は大きくため息をつく。
 近頃はどこもかしこもそのうわさで持ちきりだ。
 董卓が呂布に殺害された直後の話だった、青洲で黄巾の残党百万が乱を起こした。
 曹操は兵不足に悩んでいたにもかかわらずこれを鎮圧するために出兵。
信仰という結束で結ばれた黄巾軍は手ごわかったが、曹操はそれらを見事降伏させ、信仰を認める代わりに青洲黄巾賊の一部を自らの配下にすることに成功した。
曹操の下に帰属した青洲黄巾賊三十万は青洲兵として曹操を助けているという……。
 曹操は自らの“展”をもって確実に“天”へと進んでいる。
「俺もこうしちゃいられねぇ……」
 劉備はそう言って歩き出す。
 天下を目指す以上、いつか自分は、必ずあの曹操とぶつかることになる。
「その時ボッコボコに負けたらカッコ悪いもんなぁ!!」
 その時の劉備は半ば冗談まじりで言ったのだが、このすぐ後、彼は図らずも曹操と激突することになる。

 

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