〜虎牢関の戦い・後編〜

第1話「常龍児」


―キンッ―

―ガキンッ!!―

虎牢関の前で劉備たちが激戦を繰り広げてからどれくらいの時がたっただろうか。

―チッ!!―

「!!」
劉備の雌雄一対が呂布の頬を掠める。

―ガッ!!―

関羽の青龍刀が呂布の肩鎧を砕く。

―ガンッ!!!―

そして張飛が、呂布の方天画戟を弾き返す。
「はぁ……はぁ……」
一時的に距離をとり、一人と三人は睨み合う。
『いける!』
劉備はそう思った。
 こちらの攻撃は確実に呂布に当たり始めている。
そして呂布は目に見えて動きが悪くなっている。
『さすがの“鬼神”も疲れてきたか』
劉備は口元に笑みを浮かべる。
いくら呂布にはかなわないといえ、関羽と張飛は身内目に見ても一騎当千の猛将。
『そしていくら雲長たちに比べて弱いとはいえ、俺まで加わればさすがに押せるか』
そう考えながら両隣の義兄弟に目配せする。
「……」
「けっ!!」
関羽は黙ったまま、張飛も何か言いたそうな顔をしながらもうなずいた。
『行くぜ!』
そう思って再び踏み出そうとしたときだった。


「ぎゃ!!!」
呂布が背にする虎牢関から短い悲鳴が響いてくる。
「んぁ?!」
声の方に目をやると、そこには首を飛ばされた連合軍の兵士の姿があった。

―ザン―

「ぐぁ!!」

―ズシャ!!―

「ぐぅ!!」
刃を振るう音が聞こえるたびに、首のない死体が増えていき、連合軍の兵士が減っていく。
「なんだなんだ!!」
劉備がよく見ると、どうやら関の中から飛び出したらしい一人の武将がこっちにむかって一直線に駆けてきて、途中の邪魔な連合軍兵卒たちを切り殺しているようだった。

―ダダダダダダダダッ!!!!―

迷いなく、神速の馬術で馬を駆る男は、堂々と名乗りをあげた。
「我が名は張遼!! 我が前を阻むもの、これ全て敵とみなす!!!!」

―ザザン!!―

その名乗りと同時にさらに首のない死体が増える。
「な、なんだあいつ!!」
突然の襲撃者に張飛は間抜けな声を出す。
「押し通る!!!!」
張遼はそう言って馬を宙に舞わせる。

―ガッ!!!―

張遼の乗る馬は、呂布や劉備たちの頭上を飛び越えていく。
そのときだった
「呂布殿!!! もうしばらく虎牢関の守備はお任せした!!!!」
それだけ叫んで、張遼はさらに深く切り込んでいった。
「!!」
劉備も関羽も、張飛でさえも気がついた。
「やべえ!! 本陣一点狙いか!!!」
劉備はそう言いながら思考をめぐらせる。
 曹操が敗れたのか? 否……ならば董卓軍も同時に攻めてくる。
しかしそれならば張遼と名乗った男に曹操はなぜ追っ手を差し向けていない。
「は」
曹操の意図に気がつき、劉備は乾いた笑いを漏らす。そしてそれと同時に
「雲長!! あいつを追え!!!」
大声で叫んでいた。
「しかし」
「呂布は俺と張飛で何とかする!! “戦”ってのは頭がいなくなった時点で負けなんだよ!!」
そう叫びながら劉備は呂布に向かい駆け出す。
「さっきの張遼とか言うやつの勢いを止められるやつは連合軍にもそういない!! それに俺は曹操サンほど袁紹を評価してもいねぇ、雲長が行ってくれ!!!」
そこまで言われては、関羽としてもうなずかざるをえない。
「わかりました、御武運をお祈りします」
「お互いになっ!!!」
劉備と言葉を交わした後、関羽は張飛と視線を交える。
「益徳!!」
「おおよ!!」
多くの言葉など要らない、二人は短い言葉を交わすとお互いに背を向けて走り出した。

―ガッガッ―

戦場を離れたところを走る五十騎ばかりの騎兵隊。
「……」
先頭を走る男・牛輔は董白の命を受けひそかに敵の本陣を目指している。
「……」
牛輔は走りながら考える。
『董白様は、董卓様や曹操を出し抜こうとして私を差し向けたのではない……』
ならば何故か
「簡単なことだ」
牛輔はすぐに結論に達する。
『ただ連合軍が許せないだけ』
何故そこまで連合軍に恨みを抱くのか……それも簡単なこと。
『華雄よ……』
牛輔はすでにこの世には存在しない男の姿を思い浮かべる。
「何故死んだ……」
どれだけ嘆こうが意味は無い。
『貴様はこんなところで死んでいい者ではなかったはずだ!!』
董卓軍の筆頭武将として常に先陣を駆けてきた男。その姿に自分は何度も憧れ、そして嫉妬もした。
しかし何よりも、自分は華雄という男を認めていた。
『本来なら董卓様の女婿にふさわしい者はお前しかいなかったはず……』
武将としての武も忠義心も中途半端な自分が今董卓の女婿としていられるのも、華雄が女婿を辞退し、たまたま自分に白羽の矢が立っただけのこと。
「董卓様は華雄以外なら誰でもよかったのだ」
そして華雄はただ董卓様のために戦えればそれでよかった。
『ならば何故このようなところで死んだのだ』
何度問おうとも、答えるはずの男はすでに死している。
「何故……董白様を置いて逝った」
董卓の親族警護としても絶大な信頼を置かれていた華雄。
 何者も寄せ付けぬ董白でさえ、華雄の力は認めていた。
牛輔は思う。
『だからこそ董白様は華雄を討った連合軍が許せないのだ』
思いながら手綱に力をこめる。
『ならば自分の果たす役割もすでに決まっている』

―董白様の命を必ずや遂行する―

董卓の威光を恐れているわけではない。
大それたことなれど、董卓の女婿として生きる以上、牛輔にとって董白は“娘”も同じだったのだから。
「ん?!」
そう心を決めた牛輔の視界に、敵兵の姿が映った。
「あれは“白馬義従”公孫サン……」
見たところ、誰かに散々やられ、我が身一つで逃げてきたという感じだった。
「!!」
公孫サンも牛輔たちに気がついた。
『援軍を呼ばれては本陣奇襲を勘付かれる!!』
しかしこれだけの人数の差があれば今のうちに討ち取れる。
そう考えた牛輔は部下に公孫サンを攻撃させた。

「く!!」
公孫サンはどこまでも自らの不幸を呪わずにはられなかった。
『まだ本陣に帰れないうちに敵兵に遭遇するとは!!』
呂布に殺される寸前、張飛に助けられ、敵どころか味方もいないところを選びながら本陣にむかっていたのが災いした。
今自分の周りにいるのは途中で落ち合った部下十騎ほど。どう見ても相手の数の方が多い。
「公孫サン!! その首を置いていけ!!」
牛輔の差し向けた部下数人が公孫サンに向かって馬を進める。
「やるしかない!!」
公孫サンは自らの弱気を叱咤し、槊を構える。
その時だった。
「全体では約五十騎、そして向かってくるのが、ひい……ふう……みい……九人」
「?!」
公孫サンの耳に涼しげな声が響いてきた。
後ろを振り返ってみると、そこにいたのは一人の男。
声と同じで涼しげな空気を纏い、整った顔立ち、鎧を見る限り、おそらくは袁紹軍に所属するものだろう。
 しかしその鎧はどう見ても足軽。手に握られたのは何の変哲もない槍。
「だいぶお疲れの様子……ここは俺に任せ下がられよ」
男は公孫サンの横を通り過ぎながら自らの前髪を掻き揚げる。

 


「な、き……君!!」
公孫サンは馬にも跨らずに騎兵を相手にしようとしている男の無謀を止めようとする。
「なんだ貴様!! 死ね!!!」
男の突然の登場に驚きながらも、その姿を見て強気になった牛輔の部下九人のうち先頭の三人は、すでに男へ向かって剣を振り落とそうとしていた。
だが

―ヒュッヒュッヒュッ―

何かが空を切る音が響き。
「が」
「ぐぉ」
「げは」

―ドザッ―

気がつけば男に剣を向けていた董卓軍の三人は馬上から崩れ落ちていた。
「な!!」
公孫サンは驚きで声も出なかった。
男の手に握られていた槍が血に染まっていることから、どうやら男が董卓軍の三人を殺したらしいが
『槍の動きなど見えなかった』
それは董卓軍の男たちも同じだったらしく、一度男と距離をとって身構えている。
「もう聞こえないでしょうが、少々大振りすぎます……」
男は冷たい口調でそう言い放ち、再び髪を掻き揚げながらさらに歩を進める。
「九引く三……のこり六、と後方の数十騎」
そんなことを呟きながら、男はさらに歩く。
「くそお!!」
今度は二人の兵卒が男にむかって行く。
「おぉ!!」
一人が剣を向けたとき

―シャッ―

「ぐあ」
男の突き出した槍が董卓軍兵卒の胸に突き立ち、その命を奪う。
『やはり速い!!』
今度は何とか見えたが、それでも驚愕せずにはいられなかった。
「うおお!!」
男の槍がまだ兵卒の胸に刺さっている隙を狙って槍を振るってきたもう一人の兵卒。

―ブゥン!!!―

しかし、その槍が男を薙ぐことはなかった。
「な」
男は軽々と空中を舞い、敵の槍をかわしている。
そして
「槍で敵を薙ぐときはこうです」
といいながら空中で槍を振るう。

―ザン―

「!!」
もう一人の兵卒は断末魔を残すこともなく首を飛ばされた。

―タン―

男は空中から地面に降り
「六引く二……残り四、と数十騎」
またしても涼しげに呟いた。


『なんだ……この者は!!』
 牛輔は驚きを隠せなかった。
兵卒とはいえ西涼の地で鍛え上げられた董卓軍。
連合軍の足軽風情にやられるなどありえない。
『敵を見かけで判断するな……か』
不意に華雄の口癖が思い浮かぶ。
「えぇい!! 四方八方を囲み一気に討ち取るのだ!!!」
これ以上兵を失っては本陣奇襲に支障が出ると考えた牛輔は部下たちへそう命じた。


「……」
男はやはり前髪を掻き揚げながら、自分を取り囲もうと進んできた騎兵を冷ややかに見る。
「四足す六……残り十、と数十騎」
そう呟いて走り出す。
「!!」
董卓軍の兵卒たちもあわてて身構えるが

―ヒュ―

「が」

―ドスッ―

「ぐおお」

すでに二人が男の槍の餌食になっていた。
「おりゃあ!」
「だぁぁ!」
それにひるまず、董卓軍の兵卒たちは男の前と後ろから同時に攻撃を仕掛ける。
「ふん」
しかし男は突き出された槍を、身を低くすることでかわし、次の瞬間には反撃で敵の命を奪い
「……」
さらに真後ろからの攻撃も身を回すことで避け、いつの間にかその槍で突き落としていた。
 そして男はその勢いを無駄にすることなく、後ろに迫ろうとしていた一騎にむかってその手に持つ槍を投げた。

―ダン!!!―

投擲された槍は閃光のごとき勢いで空を裂き、敵の体を貫いた。

 だが、董卓軍の者たちはそれを狙っていた。
男が攻撃し終えたわずかな隙を突くために。
今度は三騎の敵が男にむかって剣を振り下ろす。
 対する男は武器を持っていない。
その刃をかわそうとした男の視界に
「はぁぁぁ!!!」
槊を振りかざして一人の男が割り込んできた。
「ぎゃ!!」
割り込んできた男・公孫サンの振るう槊は男の包囲を破り、やがて男と公孫サンは背中合わせに立つ。
 よく見れば残りの数人の連合軍の武将も董卓軍と刃を交えている。
「多人数相手に武器を捨てるとは!! 正気か君は!!」
公孫サンはそう言って、男へ振り向く。
「……借りが出来てしまいましたね」
男は地面に転がっている槍を足で蹴り上げ、口元に軽く笑みを浮かべる。
「それはお互い様だ」
公孫サンもそう言いながら槊を構える。
「とりあえず伝令を頼んだ……それまで耐えられるか?」
「無論」
公孫サンと男は同時に走り出す。

―ザン!!―

「見たところ君は袁紹軍のものだと思うが!! 何故こんなところに」
公孫サンが戦いながら問う。
「確かに俺は袁紹軍にその名を連ねていますが……この戦には俺の居場所がなかったような気がしまして」
澄ました顔のまま何人もの敵兵を屠り、男は答える。
「しかし、もう袁紹軍にとどまる必要性はなさそうです」
男は戦いながらそんなことを付け加える。
「袁紹殿に愛想を尽かしたか?」
先ほどのことを思い出しながら、公孫サンは冗談交じりに言う。
「いいえ、逆です」
男ははっきりといった。
「俺は“弱い者の味方”です……この戦いで袁紹殿もきっと強者になられることでしょう。ならば俺は必要ない」
周りの敵兵を蹴散らし、公孫サンと男は再び背中合わせに立つ。
「さて、次は誰を主君と仰ぐか」
男は前髪を掻き揚げながらさらりと呟く。
「……」
公孫サンは何か言いたげな顔で男の方へ目をやる。
「……ふむ、あなたの元も悪くないか」
男は口の端をつりあえると、再び敵の中へ走り出した。
『それは私が“弱い者”ということか……』
男の武が欲しくてそれとなく視線を向けたが、そう考え肩を落とす。そして公孫サンはさらに問うた。
「そういえばまだ君の名を伺っていなかったな!! 私の名は公孫サン、字は伯珪と申す。 神槍術を操りし君はどこのどなただ」
公孫サンの問いに男はしばらく考えながら
「名乗るほどのものではございません」
と答える。
「が……俺だけ名乗られるのも無礼……」
といいながら
「そうですね……“常龍児”とでも呼んでいただきましょうか」
結局本名は名乗らなかった。
『常龍児……常……常山? 常山の龍の子……子供の龍……子龍?』
公孫サンはいろいろと考えるが、特に思い当たる人物はいなかった。

 

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