〜虎牢関の戦い・中編〜

第4話「人馬一体の神風」

「董卓の孫……だと?」
あまりに意外な人物の登場に、夏侯惇はつい間のぬけた声を出してしまった。
 それを聞いた董白は、まるで汚いものを見るような目で夏侯惇を見て
「それは今言いました、わかりきったことをいちいち言わないでください。馬鹿じゃないんですか? 全く、死ねばいいのに」
と吐き捨てる。
「な、なんだとこのっ」
「すまないね董白君……唯一つ言っておくと彼は兵法にもある程度通じているから『馬鹿』ではないよ」
夏侯惇の言葉をさえぎり曹操が呟いた。
「まぁ『戦馬鹿』なんだがね、ハハハ」
「なんだと孟徳!!」
「惇兄さん……ややこしくなるので少し黙っててください」
曹操の余計な一言に反応した夏侯惇を夏侯淵が抑える。
 少しの間の睨み合い。
「いや、意外だったね」
先に口を開いたのは曹操だった。
「何がでしょう?」
董白はかわいらしい動作で首をかしげる。
「いや、董卓君の孫とは思えない美しさだよ、君は」
その言葉を聞いた瞬間、李儒をはじめとした董卓軍全員の表情が凍りつき、董卓の様子を伺う。
 董卓は黙って董白と曹操を眺めている。
「あら♪ お上手ですのね……“曹操おじさま”」
今度は夏侯兄弟をはじめとする曹操軍全員の表情が凍りつき曹操の様子を伺う。
「君もずいぶんと口が達者なようだね?」
曹操は何事もなかったかのように続けている。
「達者なのは口だけではありませんわ♪」
「例えば?」
「ご想像にお任せしますわ♪」
二人の会話のやり取りを聞きながら、夏侯惇はこの少女に舌を巻くしかなかった。
『孟徳相手に舌戦でここまでやるものがいようとは……』
夏侯惇は心配になって曹操の様子を伺うが
「うむ、なるほど……またの機会にでもそうさせてもらおう」
しかしそこは曹操孟徳、董白の挑発など意に介さずに受け流している。
「む……」
曹操のその様子に董白がつまらなそうに眉を吊り上げる。
「と、董白様!! 何故このようなところに!!」
肩の傷をかばいながら李儒が口を開くと
「黙りなさい! 殺しますよ?」
明らかな殺意を向けて李儒を無理やり黙らせる。
 どこまで妖艶な雰囲気をまとっていようと少女であることに変わりは無い、夏侯淵は冷静に分析をはじめる。
『予想外の人物の登場だが、何とかなりそうだな』
董白はまだ何か言おうとしていたが、その時だった。
「何故ここに来ている……」
董卓が口を開く。
 董白は曹操にわずかに乱されたペースを取り戻しながら答える。
「先ほども言いましたわ董相国……暇なんですの」
「ならば貴様の居場所はここにない、帰れ」
董卓はただそう言って董白の言葉を切り捨てる。
「なんです、思ったより劣勢なものですから……董相国ったら不機嫌なんじゃありませんの?」
董白も負けじと言い返す。
「董白様!! 無礼ですぞ!!」
李儒がそう言っても
「“黙りなさい”と私は言ったはずですよ……策を看破されたあなたにこそ居場所は無いのです、早々に消えなさい」
董白は冷たくそう言いはなつだけだった。
「……」
董白には何を言っても無駄と判断したのか、董卓はやがてあきれたようにため息をつく。
「まぁいい……白がいるという事は、お前もいるということだな?」
董卓はそう言って董白が乗る輿を守る騎兵隊たちに視線を向ける。
「……は」
その中の一人が小さく答える。
「ならばいい、このゴミどもは俺が始末しておく……貴様は、分かるな?」
董卓は曹操軍のさらに向こうを指差しながら呟く。
「御意に……」
男は再び、短い言葉で答える。
「?」
そのやり取りに、曹操軍は改めて身構える。
「よし……」
董卓はそう言って腕を横に払いながら、声を上げる。
「行けッ!!!」

―ダッ!!!!!!!―

次の瞬間、崖から一騎の騎兵が飛び出した。

 


「!!!」
曹操軍の兵卒たちはあわてて身構えようとする、が。

―ガガッガガガッ!!!―

類まれな手綱捌きで崖を駆け下り

―ダンッ!!!!!!!!―

刹那の間に、崖の上から戦場に降り立った一人の武将に

―ザンッ!!!!!―

全て一刀の元に切り捨てられてしまった。
「な!!?」
「っ?!!」
夏侯兄弟も驚きを隠せない。
崖を馬で駆け下りるというのは確かに出来ないことは無い。
それこそ西涼の董卓軍なら兵卒でも簡単に出来るだろう。
 それは先ほどのぶつかり合いで証明されている。
しかし崖から飛び出し、目にも留まらぬ速さで地上に降り立ち、兵たちが身構える間もないうちに切り捨てるなど……。
「尋常な馬術じゃないぞ、あれは!!」
夏侯惇が叫んだ。

―ガッ!!―

そんなことを言っている間にも、男はさらに速く、曹操軍の兵たちの命をその刃で刈り取っていく。
 向けられる無数の長槍を軽くかわし、飛んでくる無数の矢を弾き飛ばし、速度を全く緩めることなく曹操軍の中心めがけて一気に駆け抜けてくる。
 先ほどの曹操軍の進軍が“疾風”ならその男の動きは“神風”だった。
「まさに“人馬一体”といったところだね」
「冷静に言っている場合ですか!」
のんきに言っている曹操を押しのけて夏侯淵が矢を放つ。

―ヒューーーーーン!!!―

「!!」
矢は確実に男を捕らえ、その眉間を貫くはずだった。
 しかし

―ガクン―

矢がまさに男の眉間を貫くというときに、馬が大きく体を下げ、矢は男の頭上を掠める。
「んだと!?」
夏侯惇も、もう何もいえない。
 見たところ男の乗っている馬は音に聞こえるような名馬ではない、それこそ夏侯惇たちの乗る馬とそう変わる事もないだろう。
 つまりあの“人馬一体”を可能にしているのは、ほぼ全てが男の馬術によるものなのだ。

―ガッ― 

下げた体の反動を利用し、男の操る馬は宙を舞う。
「我が名は!!」
男が神速の馬術を操りながら名乗りを上げる。

―ダッ!!―

「張遼!!!」
張遼は馬上で薙刀を構え、曹操めがけてさらに速度を上げる。
「ちぃ!!!」
夏侯惇がそれを迎え撃つために槍を振るう。

―ブゥン!!!―

必殺の一撃は、しかし空振りだった。
「な!!」
気がつけば張遼の乗る馬は再び宙を舞い、夏侯惇の頭上を軽々と飛び越えていた。

―ダッ!!―

再び地面に降り立ち、もはや張遼が曹操を捉えるのは時間の問題だった。
「ふむ」
しかし曹操はどこまでも冷静だった、腰の剣を抜くわけでもなく、かといって周りの者たちに何か命じる様子もない。
「殿!!」
隣に控えていた夏侯淵が声を上げると
「皆の者!! 張遼君が通るぞ!! 道をあけたまえ!!」
「なぁーーーーーーー!!!!!!」
曹操はとんでもない号令を出した。
「何言ってんだきさまぁ!!」
張遼の後を追いながら夏侯惇がわめく。
「くっ!!」
「やめたまえ、淵」
「はぁっ?」
夏侯淵が再び矢を放とうとするのを曹操が止める。
「……」
「ふ……」
張遼と曹操の視線が交わる。
 今ここで張遼が刃を振るえば全てが終わる。
しかし

―ダンッ!!!―

張遼は曹操の前で再び大きく跳躍すると、曹操たちを飛び越え、そのまま曹操たちが進んできた道を走り去ってしまった。
「?!」
「んな?!」
曹操軍全員は狐に包まれたような顔をしている。いつまでも張遼が走り去った道を眺めていると。
「簡単なことだ、彼の目的は私の首では無いんだよ?」
曹操が自らの首をとんとんと叩きながら呟く。
「なんだと?!」
夏侯惇がそう聞くと
「この戦いで、われわれは董卓君を討てば勝ちだ、しかし彼らはどうかね?」
「たしかに……殿が討たれても連合軍はまだ機能するはず」
夏侯淵が顎に手をやりながら思案する。
「そうだ、つまり彼の目的は……」
「袁紹かっ?!!」
曹操の言葉をさえぎり、夏侯惇が叫ぶ。
 曹操は不適に笑うと
「そのとおり、見事だよ惇、二点加算だ……」
と呟く。
「いいのですか?!」
「大丈夫だよ、君も惇も……少し袁紹という男を甘く見すぎていないかね?」
心配そうに聞く夏侯淵に曹操が答える。
「彼は確かに自意識過剰なところがあるが……極めればそれもまたひとつの“最強”だよ?」
「……」
曹操のその言葉に夏侯兄弟は黙り込むしかなかった。


その時だった。
「いつまで後ろを見ているのかね! 前だ!!!」
今まであまり緊張感を感じさせなかった曹操が突然凛とした表情で、自らの声を戦場に響かせた。
「!!!」
あわてて皆が視線を前に戻すと
「と、董卓!!」
そこには崖を駆け下りながら、董卓が今にも全軍に号令を発しようとしている姿があった。
「行け!! 貴様らは全てを食らう虎狼だ!!! 理性というものを捨て、獣の本能をむき出しにせよ!! 我が暴虐の名の下に!!!!!」
董卓の号令が地を揺るがし、戦場に混沌をもたらす。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
李儒の策が破られたことでしばらく沈黙していた董卓軍だが、董卓の号令を聞くなり再び先ほどまでの凶暴性を取り戻し、曹操軍に襲い掛かってきた。
「惇! 淵! 難しいことを考えるのはここまでだ!!!」
曹操はそう言って腰の剣を抜く。
「我らが無双の兵士たちよ!!! これからが本当の戦いだ!!! その身に秘められし力を開放し、西涼の狼どもを狩り取るのだ!!! 恐れることは無い!! 天は我らに味方している!!!!!」
曹操の号令に曹操軍の士気も大いに高まった。
「オォォォォォォォォォォ!!!!!!!!」
曹操の言うとおり、曹操軍と董卓軍の戦いはたった今始まった。

「……ふん」
ぶつかり合った二つの軍を冷ややかに眺めながら、董白は小さく笑った。
「董相国も曹操おじさまも……私を無視してよくもまぁ勝手に、つまらないじゃないですか」
その瞳には少なからず憎悪が渦巻いている。
「いいでしょう、それなら私にも考えがあります……牛輔」
「は!」
董白の呼びかけに一人の男が前へ出る。
「私の言いたいことがわかりますね?」
「はい、張遼の先を越し、密かに連合軍の大将を討ち取れと仰るのですね」
「そうです、こういうコソコソした事が得意でしたね、あなたは」
「いや……そう言うわけでは」
「つまらない事は言わないでいいです、行きなさい」
「……御意に」
牛輔と呼ばれた武将は部下五十騎ほどを連れてその場を後にした。
「クス……これでどうなるでしょうか」
少女の笑みは、どこまでも邪悪だった。

 

……後編へ続く。

 

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