〜各地の群雄〜

第1話「虎の血を引き継ぐもの」

 

董卓が長安へ遷都し、暴虐を極めていた頃、反董卓連合は目的を失い自然解散。
 それぞれの領地へと帰っていった。

「よし!! 次だ!!」
 袁紹は部下の話を聞き終えるなり、すぐさま他の部下を呼んではまた情報を聞き出している。
 領地に帰ってきてからというもの、袁紹はほとんど休み無しで、延々とこんなことを続けている。
「……」
 そんな袁紹を黙って見守る一人の男。
 その顔には深いしわが刻まれ、体こそ多少老いてはいるが、眼光はいまだに鋭く、その瞳で静かに袁紹を観察している。
 彼の名は田豊(字は元晧)、袁紹の幕僚の中でもあらゆる兵法に通ずる逸材といわれている。
 その昔は洛陽に仕官していた身だが、高級官僚の腐敗を嘆き、長い間故郷に隠棲していた。
 しかし、田豊の名を聞いた袁紹は彼を自らの参謀にするべく、礼を尽くして彼のもとを訪れた。
 勤皇家の田豊は、袁紹の“漢王朝を復興したい”という大義に賛同し、再び乱世へと踏み出していた……。
 しかし袁紹はいつも口ばかりでなかなか行動に移らない。
 今までそうしてどれだけの好機を見逃してきたか。
 それだけではない、一度自分が決めたことには頑固で、他のものの意見に耳を貸さない。
 虎牢関では自身兵を率いて何も出来ないまま惨敗したという。
『そんな袁紹殿を……私はすでに見限っていたのだが……』
 今の袁紹はどうだろうか?
 部下の話を熱心に聞いてはすぐに的確な指示を出し、難しいところは素直に参謀である自分たちに相談する。
 そして今まで優柔不断で行動力に欠けると思っていた彼は、すでに領地へと帰った公孫サンを巧妙にたぶらかしうまく利用することで、豊かな土地として魅力のある冀州を一切の犠牲を出さずに手に入れた。
さらに諸将が洛陽の復興に手を焼いている頃にはすでに、空白の荊州刺史に自らの息のかかった劉表を任命している。
以前の彼からは考えられない行動力、そして次の次まで読んだ行動を取っている。
 今は乱世、どのような手段を取ろうと卑怯などといわれる筋合いは無い。
 しかし袁紹はそのような狡猾な手段を嫌っていたはず。
 それを今は平気でやっている。
『このお方は……本当に変わった』
 田豊はそう考えていた。
 天下に手を伸ばすには、生温いやり方では絶対に無理だ。
『だからこのお方は、今までの自分のやり方を変えてでも前に進もうとしている』
 虎牢関での敗戦の後、何があったのかは知らないが、袁紹は確実に“王者”の風格を身にまとっていた。
『今の袁紹様なら……本当に漢王朝を復興できるのでは』
 そう決めるのはまだ早いかもしれないが、この袁紹という男を見限るのもまだ早すぎる。
 田豊はひそかに決意を改め、袁紹の下に身を置き続ける決心をしていた。

「ほぅ……これはおどろいた」
「?!」
 一通りの話を聞き終え、今後のことを話し合っていた袁紹と田豊の耳に、聞きなれない声が響いてきた。
「な、何者だ!!」
 袁紹が声のしたほうを向く。
「ふん」
 そこに立っていたのは、一人の男だった。
 まだ若いが、ボサボサの頭髪にろくに手入れもされていない無精ひげ、身にまとう衣装も埃だらけで着崩れている。
 目の前に現れた男は、人前に出てくるのにこれ以上ないほど“無礼”極まりない格好をしていた。
「む……」
 昔の袁紹ならば、そのみすぼらしい見た目に立て続けに怒鳴りつけていただろうが、虎牢関の一件で確実に大きな男に成長した袁紹は目の前の男が只者でないことを看破していた。
「優柔不断で決断力に欠ける……さらに人の意見に耳を貸さずに自らの家柄をやたらに自慢する、とてもではないが天下を取るには荷が重過ぎる男……袁紹とはそう言う男と聞いていたのだが……」
 現れた男はこれ以上ないという無礼な格好で現れたかと思うと、これ以上ないというほど無礼な言葉で口を開いた。
「……」
 しかし、袁紹も田豊も何も言い返せない。
「どうした? 俺はお前を褒めているんだぞ……喜んでいいぞ」
 男の不遜な態度は続いている。
「く!! な、何者だ貴様は!! 突然無礼極まりない格好で人前に現れたかと思うと人を散々コケにしおって!! 事と次第によっては容赦せんぞ!!」


 我慢の限界だったのか、袁紹は再び声を上げた。
 男は動じた様子もなく、懐から何かを取り出す。
「貴様こそ……わざわざ足を運んでやった俺に何のもてなしもないのか?」
 男の手に握られているのは、どうやら書簡のようだった。
「それは」
 田豊はその書簡に見覚えがあった。
「……それは、荀イク殿の」
「そのとおり」
 男は書簡をちらつかせながら、不敵な笑みを浮かべる。
「荀イクの書簡?」
 袁紹は首をひねる。
 荀イクといえば“王佐の才”とまで称される天才で、自分が参謀に迎えたがいつの間にか姿を消していた男……。
「あ!!」
 思い出した、ずいぶん昔になるが、荀イクは袁紹たちに言っていたことがあった。

『私の知る者に、私などを遥かに凌ぐ逸材がおります……その男に袁紹殿のことを紹介しておきました』

と。
「ではお前は……」
「そうだ、荀イク殿の推挙でここに来た」
男は得意げに言い放った。
「ちょっと待て!! 荀イクがその書簡を送ったのはいつの話だと思っている?!」
 それはもう遥か昔だった。
「“いつ”来いなどとは書かれていなかったんでな……気が向いたから足を運んだだけだ」
 男は悪びれもせずに言い切った。
「……」
 確かに、限りなく不遜な態度だが、瞳は鷹のように鋭く、常にどこか遠くを見据え、睨みつけただけでそのものを打ち抜くことが出来そうなものだった。
「そうだったか……それは申し訳なかった、貴公の名を伺ってもよろしいか?」
 袁紹は少しずつ落ち着きを取り戻しながら、目の前の男に尋ねた。
 男はつまらなそうに頭をかいていたが
「郭嘉……」
 ポツリと名を呟いた。
「か、郭嘉っ!?」
 男の名を聞いた田豊が驚きの声を上げる。
「何だ田豊? 知っているのか」
「し、知っているのかではありませぬぞ殿!! “千里眼”の郭嘉ですぞ!!」
 田豊にしては珍しい驚きようだった。
「“千里眼”?」
 袁紹はしばらく考え込んでいたが
「あ!!」
 やがて何かを思い出したように手をたたき、改めて郭嘉と名乗った男のほうへ向き直る。
「最近になって急に噂されるようになった男だな!! 鋭い観察眼と洞察力でさまざまな情報を読み取り、それを取捨選択……さらにそこからの展開を予想し、その予想が外れたことは一度もない……まさに“千里眼”を持つといわれているあの郭嘉か!!」
「そのとおりだ」
 郭嘉(字は奉考)は一切の謙遜もなく言い切った。
「おぉっ!! その郭嘉殿がわざわざこんなところまで来てくれたのか!!」
 予想外の人物の登場に、袁紹は喜ぶ。
「まさかそなたのようなものが袁紹殿のようなものの所へくるとは思ってもおりませんでしたぞ」
「おい田豊、今貴様何気に失礼なこと言わなかったか?」
「ききき気のせいです!! 今は袁紹殿も素晴らしいお方です!!」
「“今は”ってことはいままで馬鹿だとでも思っていたのか!!」
「そんなことを言っている場合では無いでしょう殿!!」
 田豊は逸れかけた話を無理やり戻した。
「そ、そうだったな!!」
 袁紹もうなずき、しっかりと郭嘉と向き合う。
「それで!! 荀イクの推挙で私のもとにきてくれるのか?!」
 袁紹は興奮を抑えられぬ面持ちで郭嘉へとたずねた。
「そうだな……荀イク殿から話を聞いたときはまず絶対にあんたに仕えることは無いと思っていたが……何が影響したのかずいぶんとましになったようだし……」
 郭嘉はそう言って袁紹を見る。
「おぉ!! そうかそうか!! では早速」
「だが……」
 袁紹の言葉を郭嘉が遮る。
「俺が生涯仕える主はただ“一人”……今急いで主を決めることは無いな、あんたがここまでましになったんだ……あんた以上も探せばいるかもしれない」
 郭嘉はそう言って袁紹へ背を向ける。
「な、なんだとー!! 思わせぶりな態度を見せよって!!」
「もう少し各地を回った後、雑魚しかいなかったならここに再び戻ってくるだろうが……」
「それ以上の主を見つけたらそのものに仕えるというのか?」
 田豊の言葉に、郭嘉は迷わずうなずいた。
「まぁ、今までの無礼の侘びに……一つ俺の“千里眼”を披露しよう」
 郭嘉は背を向けたままそう言って、さらに言葉を続けた。
「荊州刺史に劉表を任命したのは失敗だったな……荊州刺史を空白にしたのは孫堅だ、その孫堅が黙っているとは思えない……そうなったら劉表では孫堅など止められまい」
「むむ……」
 郭嘉の言葉に、袁紹の顔が曇る。
「しかしだ……」
 だが、郭嘉の言葉はまだ続いていた。
「“戦”というのは面白いものでな……いくつもの不安定な罠があちこちに転がっている。劉表の部下に黄祖というものがいるが……あの老獪で周到な男と、孫堅という果敢で常に先陣を切る癖のあるあの男をぶつからせてみると……面白い収穫が望めそうだな」
「……」
「俺が言えるのはここまでだ……後は貴様たちの好きにしろ」
 郭嘉はそうしてその場を去り、袁紹と田豊だけがその場に残された。

「……」
 何事もなかったかのような静寂が辺りを包み、袁紹と田豊はしばらく言葉を発することが出来なかった。
「殿、あの男のいうことはもっともです」
「何?」
 だが、不意に田豊が口を開いた。
「確かに孫堅が荊州を攻めてくる可能性は高いです、孫堅にその気がなくとも袁術殿にたぶらかされる可能性もあります」
 袁紹はしばらく黙っていたが、やがて意を決したようにうなずいた。
「よし!! 劉表のもとへ今すぐ使者を派遣しろ!! もし孫堅が攻めてきたら返り討ちにするように伝えるのだ!!」
 決断は一瞬、やはり田豊は、袁紹の変わりように驚かずにはいられなかった。

 洛陽――――――

 多くの諸将は一通り復興を済ませた洛陽をすでに去っていたが、孫堅、袁術などはまだ残っていた。
 孫堅としては、他の諸将に黙って手に入れた玉璽を隠し持っているため、一刻も早く領地に帰りたいが、彼は玉璽を持ち帰るだけではなく、他にもやるべき事を抱えていた。
「荊州を攻めるのですか?」
 孫堅は、自らの配下・程普(字は徳謀)の言葉にゆっくりとうなずく。
「私の手には玉璽がある、今更荊州刺史の位が欲しいわけではないが……袁紹の息のかかった劉表を荊州においておくのは同盟関係にある袁術殿にも都合が悪いだろうし、攻めておくべきだろう」
「ですが、それならば一度領地へ帰り、兵力を増強してから再び攻めれば……」
「いや、下手に時を消費するものではない、兵たちの士気もまだ下がってはいない、ならば今すぐにでも劉表を攻めるべきだ。明日洛陽を出て、そのまま荊州の劉表を攻める」
 孫堅は静かに言い放った。
「それでだ……程普」
「何でしょう?」
 改まった口調になった孫堅に、程普は首をかしげる。
「次の戦には“アイツ”を加えてやろうと思っているのだ」
「な!!」
「アイツももう一人前だ、そろそろ戦を体験させてやるべきだろう?」
 孫堅の言葉が本当に意外だったのか、程普は目に見えて焦っている。
「わ“若”を戦に出されるのですか!! 孫堅様!! それはまだ早すぎでは!! 今回若をご一緒につれてきたのはあくまで戦というものを見せるためでは」
「いや、もうそろそろアイツにも“戦”というものを実際に体験させておくべきだ、程普……あいつはまだ洛陽の城下町の復興を手伝っているはずだ、今からそのことを伝えてやってくれ」
「あ……はぁ、というかあの若君、私の話など聞いてくれませんが」
「いつものように何発か殴って蹴ってしたら聞くだろう、それが出来るのはお前だけだ、だから頼んだぞ」
 変な頼られ方だが、孫堅にそういわれては、程普としてはうなずかざるをえなかった。
「わかりました、とりあえず馬鹿なことをやっていたら御無礼を承知で蹴りを入れさせていただきます」
「さすがだな、程普は……アイツにはそれぐらいが丁度いい」
しぶしぶ城下町へと向かっていく程普の背中に、孫堅は小さく呟いた。

「へいっ!! おまちぃ!!!」
 気休め程度にところどころが復旧されている洛陽の城下町に、青空のような澄んだ男の声が響き渡った。
今、城下町の広場では孫堅軍が民や兵のために糧米を用意していた。
そのため、老若男女多くの者が広場に集まっている。
しかし
「きゃ〜♪ きゃ〜♪」
「うおぉ〜!! おぉ〜!!」
 集まるものの瞳は糧米ではなく、それをさらに調理しては人に配っていく一人の男の姿に釘付けになっていた。
 まだ一人の男と言うにはあどけなさの残る顔つきだが、鋭い瞳に高い鼻、引き締まった唇に整った眉。
着ている服こそ汚れてはいるが男の容姿は美しく、周りを取り囲む女性たちはその男を見ては黄色い声を出している。
 もちろん女性だけではなく、彼を見守るもの全員が、彼の動作の一つ一つにわざわざ反応している。
 今広場の中央で鍋を振るう男は、その身に纏う絶対的なカリスマ性によりその場の全てのものを魅了していた。
「よっし!! 出来たぜ!!」
 出来た料理を皿に盛り付けて、男は再び鍋を振るおうと掛け声を上げる。
「次行くぜ!!」
「行くなぁぁぁぁぁああぁぁ!!!!!!」

 ドゴォッ!!!!

「がはっ!!!」
 鍋を振るおうと声を上げていた男はその美しい顔面に突然現れた武将の両足蹴り(所謂ドロップキック)を受けて思いっきり吹っ飛んだ。
「ぐおっ!!」
空中を思いっきり回転してかなりの距離を飛んだ男の体はやがて地面に叩きつけられる。
「……」
 その場の全員が突然のことに完全に目を点にしていた。
「ぐぎぎぎ……ってぇ〜」
顔面に両足蹴りを受けた男はゆっくりと体を起こすと、自分の前に立つ武将に声を上げる。
「コノてめぇっ!! いきなり何しやがる!!! そしてもし蹴るにしても片足にしとけ!! さらには狙うなら腹とかにしやがれ!! 俺の顔が歪んじまったらどうすんだ!!!!」
 いろいろとツッコミどころ満載の怒り方だった。
「何を言っているのです! 一国の若君が何雑用を喜んで引き受けているのですか!! どういうつもりです!!」
「その若君の顔面に両足蹴りブチかましたお前こそどういうつもりだよ!! えぇ程普!!」
 自分に両足蹴りをお見舞いした武将・程普の言葉に、男はすかさず怒鳴り返す。
「大殿に許可はいただいております!! という訳でこういうことは他のものに任せて少しは自重してください孫策様!! というかご無礼を承知で言わせていただきますが『何度言えばわかるんだ本当に頭悪いなお前!!』」
 程普も、負けずと自らの主・孫堅の息子である目の前の男・孫策(字は伯符)に言い返した。
「というより!! 黄蓋!! 韓当!! 貴様らも何をしとるか!!」
 程普はさらに、孫策と程普の言い争いを糧米をのんびりと口に運びながら眺めている二人の武将に怒鳴りつける。
「ガハハハハハッ!!! いつもながら程普に手加減は無いのぅ」
 豪快に笑って皿の糧米を片付けた大柄の男が孫策と程普のもとに歩いてくる。
「まぁそう怒るでない程普!! 若君の飯はうまいぞ!!」
「やかましい黄蓋!! 貴様がそんなことだからいかんのだ!!」
 程普はそう言って大柄の男・黄蓋(字は公覆)にどなりつけた後、未だに黙々と糧米を口に運んでいる男のほうへ向かって声を上げる。
「韓当!! 聞いているのか!!」
「無論だ……」
 糧米をゆっくりと食べ終え、落ち着いた雰囲気で答える痩せ気味の男・韓当(字は義公)。
 程普・黄蓋・韓当の三人は孫堅が旗揚げした当時から彼に仕えている古参の武将で、多くのものから尊敬のまなざしを送られる孫堅軍の筆頭武将たちである。
「しかし程普よ、おぬしは知らぬだろう?」
「何をだ」
 ゆっくりと立ち上がり、孫策たちの前に歩いて来た韓当に、程普が問う。
「若君が何の意味もなく糧米の調理をしているとでも思っているのか?」
「そうじゃそうじゃ!!」
 黄蓋もうなずく。
「ほほう、それではぜひこの私に教えていただきたいですな、孫策様」
 程普はそう言って孫策のほうへ向き直る。
「おっしゃ!! いいだろう!! 教えてやろうじゃねーか!!!」
 孫策はそう言うと広場の中心に走っていき、大きく息を吸った後

「俺は将来自分の嫁に“料理が出来る夫を持って幸せです”って言われるのが夢なんだぐおっ!!!」

と大声で叫びかけて再び程普の飛び蹴りを食らった。孫策の意見を汲んだのか、右足のみがみぞおちに直撃している。
「ってえなぁ程普!! 何だよ!! なんか文句あんのかてめぇ!!」
「あきれて言葉もないとはまさにこのことです!!! もう一度無礼を承知で言いますが『お前本当にあの孫堅殿の息子か大馬鹿!!』」
 程普の怒りの言葉が洛陽に響き渡った。

 江東――――――

「へくしっ!」
「ちょ、大喬姉さん……風邪ですか?」
 ここは江東でもその名を知らぬものなどいないといわれる富豪“喬公”の館。
 その一室でのんびりと庭を眺めていた二人の少女。
 一人は大喬と呼ばれた、のんびりふわふわとした雰囲気の少女で、もう一人は意志の強そうな瞳をしている。
 二人とも一目見ただけで永遠に忘れることがないほどの美女であることは明白で、姉の大喬、そして妹の小喬、二人合わせて江東の美人姉妹“二喬”として有名だった。
「うぅ〜鼻水が……」
「ね、姉さん!! そう言うせっかくの容姿が台無しになるようなことは何とかしてください!!」
 妹・小喬の言うとおり、大喬は今その美しい容姿を、くしゃみをしたことで鼻から流れてきた鼻水で台無しにしていた。
「そんなこといったって流れてくるのはとめられないよぉ〜」
 鼻水をゆらゆら揺らしながら大喬はおろおろと混乱している。
「もう……姉さん、そんなことでどうするんですか」
 小喬は姉の鼻水を拭き取りながら、大きくため息をつく。
「料理は出来ない、家から滅多に出ない、筝曲もダメ、舞もだめ、性格は怠け者って……顔以外いいところないじゃないですか」
 ちなみに小喬はそんな姉が反面教師となったのか、家事全般に舞や筝曲など、さまざまな特技を身につけているうえによく気がつく性格で、どこに嫁いでも恥ずかしくない少女だった。
「うぅ〜、ひどいよぉ〜小喬ちゃん」
 小喬の言葉に、大喬はがっくりと肩を落とす。
「あ、姉さん……私そんなつもりじゃ……」
「でもいいんだも〜ん♪」
 しかしすぐにキラキラと輝かせた顔を上げる。
「私のお婿さんになる人は料理が出来て家事をやってくれて退屈なときは遊んでくれる働き者な旦那さんなんですぅ〜、きっと“君のために料理が作れて幸せだよ”とかいってくれるんだよぉ〜」
「……」
 小喬はあえて突っ込まないことにした、本当にありえそうな話だったからだ。

 

洛陽――――――

「へっくし!!!」
「どうされた? 孫策様」
「突然くしゃみなど……」
言い争いの途中でいきなりくしゃみをした孫策に黄蓋らが声をかける。
「なんだ……俺も頑張りすぎて風邪でも引いちまったかな?」
「若が風邪を引くわけないでしょうが」
「あ、程普テメ!! それどういう意味だおい!!」

呉の英雄・孫策とその妻となる大喬、この二人が運命的な出会いを果たすのは、もう少し後の話である………。

「で? 程普……結局なんだったんだよ」
 お互いに怒鳴りあって気が済んだのか、孫策が切り出した。
「そうでした、私としたことが」
 程普は咳払いを一つ、孫策に真剣な面持ちで向き合う。
「孫堅様は、明日洛陽を出て荊州の劉表を攻めるご決断をされました」
「へぇ、それで?」
 ある程度予想はしていたのだろう、孫策はあまり驚いた様子は無い。
「そこでです」
「あ?」
「一通りの調練も済みましたし、孫堅殿は次の戦に孫策殿を参加させたいと願っていらっしゃるのです」
「え?!」
「なんと!!」
「……」
程普の言葉に、孫策、黄蓋、韓当はそれぞれの反応を示す。
「……」
 そして、しばらくの沈黙の後……
「マジかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
 孫策が突然声を上げる。
 その声には喜びの感情が溢れている。
「おっしゃぁぁぁぁ!!!!!! ついにこのときが来たんだな!!!!!!!」
 孫策はとりあえず無駄に跳ね回って喜びを全身で表現している。
「きゃ〜!! 孫策様〜!!!」
「おめでとうございます!! 孫策様!!!」
周りの者も喜ぶ孫策に祝福の言葉を投げかける。
「孫堅殿の期待を裏切らぬよう、孫家の名に恥じない活躍をしていただきた……」
「ありがとよみんな!! よぉぉぉぉぉし!!! いくぜ!! 韓当!! 黄蓋!! 程普!! 俺の力を見せてやるぜぇぇぇぇぇ!!!!!!」
 孫策は程普の話になど全く耳を貸さず、ものすごい勢いで走り去ってしまった。
「……」
「ガハハハハハ!!! これはたのしみだな!! 程普!!!」
「あのお方なら、きっと素晴らしい活躍をしてくださるでしょう」
 孫堅旗揚げ当初から孫堅軍に身を置く彼らは、それぞれの想いを胸に秘め、孫策のことを見守っていた。

 

 

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