〜董卓の死後〜

第3話「長安混乱」

 

 董卓の死からしばらくたち、都の中がやっと落ち着いてきたときだった。

「董卓様……」

市にさらされている董卓の死体を眺め、悲しそうに涙を流す男がいた。
男の名は蔡ヨウ、後漢を代表する学者であり文学者。
彼はその才を董卓に見込まれ、尚書として厚遇されていた。
「今思えば……私も多くのものと同じように、どこかあなたに惹かれていたのかもしれません……」
 そう言いながら、蔡ヨウは涙を流し続ける。
 董卓に厚遇されていた蔡ヨウは、彼の死を悲しみ、人目もはばからずに泣き続けた。
 無論、そのようなことがいつまでも見逃されるはずはなかった。

「王允様!! どうか考え直してください!! あの蔡ヨウという男の才はこのようなところで失ってよいものではありません!!!!」
 王允は、市中で董卓の死を嘆く蔡ヨウを捕らえ、処刑しようとした。
 多くのものが蔡ヨウの才を惜しみ、助命を願ったが、王允はついに蔡ヨウを処刑、この事件が多くの人間に動揺を与えた。

涼州・陝西――――――

「畜生!! 王允の野郎!!!」
 瞳から涙を流しながら、周りに当り散らす男がいた。
 董卓軍の武将・李カク。
 善人とは程遠い男だったが、悪党というには、彼の心には“情”がありすぎた。
「董卓様!! なぜだ!!」
李カクは地面に額を打ちつけ、大声を上げて泣いている。
「李カク、いい加減にしろ」
 そんな風に、手がつけられないほど荒れている李カクをなだめる男がいた。
 李カクと同じ董卓軍の武将・郭。
「郭!! 何言ってやがる!! 董卓様が死んだ……いや、殺されたんだぞ!!! てめえは何とも思わねえのか!!!」
李カクはやはり声を荒げて怒鳴り散らす。
「分かっている!! 俺だって悔しくて仕方がねぇ!!」
 李カクをなだめる郭もまた、瞳から涙を流していた。
「昔から救いようのない悪だった俺やお前を、董卓様は拾ってくださり……今までずっと武将として使ってくれていたんだ……いうなれば董卓様こそ俺たちの本当の親父だった!!」
心に溜まった悲しみを吐き出すように、郭は続ける。
「その董卓様が死んで、何とも思わねえわけねえだろう!!! 本当なら今すぐにでも王允の野郎を八つ裂きにしてやりてぇ!!!!」
「じゃあ何で……」
「王允のところには呂布がいるんだぞ!!! 俺たちがかなう相手だとでも思ってんのか!!!」
「ぐ……」
ただわめき散らしていただけの李カクも、呂布の名を出されては言葉に詰まる。
「そう言うことだ……俺たちなんかじゃ、呂布の野郎にはかなわねぇ……」
 そうして二人が黙りこんでしまったときだった。
「ククククク……」
 物陰から一人の男が現れる。
「てめぇ……董卓軍の軍師」
「賈ク……」
李カクと郭は、突然現れた董卓軍の軍師・賈クに驚きを隠せない。
「ククククク」
「何がおかしい!! てめぇ!!!」
笑いをこらえようともしない賈クに、李カクは声を荒げる。
「これが笑わずにいられるか……」
 賈クはそう言いながら語りだす。
「こんなところで呂布一人におびえ、進む事も、逃げる事もできずにいるんだからな……滑稽なことこの上ない」
「貴様ぁ!!!」
 李カクが剣の柄に手をかける。
「復讐をしたいんだろう?」
 そんな李カクに、賈クが語りかける。
「なんだと?」
「俺が貴様ら阿呆に知恵を貸してやる……王允を殺したいのだろう?」
 李カクと郭にとって、賈クの言葉はこれ以上ない誘惑だった。
「本当に……てめぇは王允のやつを殺せるのか?」
「無論だ……呂布のほうは殺せずとも、敗走くらいはさせられる……そうなれば王允を殺すことなどたやすい」
「……」
 賈クの冷たい瞳に何かたくらみがあるのか探ろうとしたが、二人には何も読み取れなかった。
 そして、結局李カクたちには道は一つしかなかった。
「いいだろう……てめぇの話にのってやる」
「クククク……そうこなくてはな」
「よし!! やるぞ郭!! 董卓様の仇を討つんだ!!」
「あぁ李カク!!! そして民も、臣も、帝も!!! 長安のやつらに思い知らさせてやるんだ!!! 董卓様の恐ろしさを!!! 董卓様は不滅だということを!!!! 俺たちが董卓様の暴虐を再現してやるんだ!!!!」
 復讐に燃える二人を、賈クは冷ややかな視線で見つめていた。
 李カクと郭に王允を集中的に狙わせ、呂布の一家から注意を逸らす。
『張済殿はこの阿呆どもを抑えるよういったようだが……こういう方法もある』
 李カクたちは利用させてもらい、王允には死んでもらう。
『王允のやつも……早く死にたがっていることだしな』
 今まで表に出てくることのなかった闇の軍師は、少しずつ、確実に歴史の表に踏み出してきていた……。

長安・王允の館――――――

「何の……つもりだ?」
 王允の館を訪れた呂布は、ただ一言呟いた。
「どういうことだ?」
 王允は呂布と目をあわせようともせず、部屋の奥に寝かせてあるチョウ蝉の亡骸を見つめている。
「お前の……やっていること、だ」
呂布は続ける。
「このようなことを続けては、いずれ……死ぬ、ぞ」
 そう、董一族の皆殺しや董卓へ肩入れした学者の誅殺。
 このようなことを続ては、周りのものの人望を失い、いずれ殺される、と呂布は言いたかった。
「死ぬ……か」
 そういわれても、王允には焦る様子は無い。
「もうすぐ……李カクたちが、来る……逃げる、ぞ」
呂布がそう言っても、王允は小さく首を振る。
「死ぬ……気、か?」
 王允は答えない。ただ
「娘がわしのようなもののために命をかけてくれたのだ……だからわしには……董卓を死に追いやった“烈士”としての役割がある」
「そう……か」
「……」
 王允が振り返ると、そこに呂布の姿はなかった。
 ただ、どこで摘んできたのか、小さな花が置かれていた。
 チョウ蝉への手向けといわんばかりに……。

 その後、賈クの誘いに乗った李カク・郭は董卓軍の残党をかき集め、董卓の仇を討つために長安へ出兵。
 復讐に燃える李カクたちの勢いはすさまじく、瞬く間に長安を包囲。
 長安が落ちるのに、そう時間はかからなかった。
 
ザザン!!

 赤兎に跨り、呂布は迫り来る董卓軍をひと薙ぎにする。
 無論、呂布の体には傷ひとつ付いていない。
「クククク……そうだ、それでいい」
 圧倒的な力で戦う呂布を眺めながら、賈クは小さく笑いを漏らす。
「貴様が一騎当千の猛将であろうが……体は一に過ぎないのだからな」
 そう、呂布という男はただ一人。
 彼一人で守るには、敵の数が多すぎた。

 そうして長安で激しい攻防が繰り広げられているときだった。
 都の中を数人の部下とともに馬を走らせる一人の武将。
 李カクたちと同じ董卓軍の武将・牛輔だった。
「董白様が生きている……」
 牛輔は張済からその事実を知らされ、ひそかに董白と呂布の家族を迎えに行く途中だった。
「今お迎えに上がります」
 董卓は死んでしまったが、自分が貫くべき忠義はまだ失っていない。
 呂布の家族を助けるのはいささか抵抗があったが、そんなことを言っている場合ではなかった。
 牛輔は知っているのだ、呂布の娘・呂華に嘘偽りのない真の笑顔を向ける董白を……。
 そう思ってただひたすらに馬を走らせる。
「胡赤児……本当にこちらでいいのか?」
 少し不安げな表情で、自らを先導する部下・胡赤児に声をかける。
 それもそのはず、胡赤児は都からどんどん離れた方へ牛輔を誘導していく。
「へぇ、少しでも早く逃げられるように、あらかじめ都のはずれの森に移動していただいてます」
 胡赤児ははっきりとそう答える。
 ずる賢いところがあるが、牛輔も彼のことはそれなりに信頼していたので、黙って付いていくことにする。
 普段の牛輔なら気がついたかもしれないが、董白を助けることで頭がいっぱいだった彼は、いつもの冷静さを失っていた。
 そうしてしばらく馬を走らせ、胡赤児は都を遠く離れた森の中で馬をとめる。
「おい、胡赤児よ……どういうつもりだ?」
 周りには誰もいない、牛輔もさすがにおかしいときが付いた。
 胡赤児は申し訳なさそうな顔をしながら、突然頭を下げる。
「すまねぇ!! 牛輔殿」
「何?」
 突然のことに、牛輔の思考はうまく回らない。
「実はさっき言ったことは……全部嘘なんだ」
「!!」
 牛輔は驚きで声が出ない。
「仕方なかったんだ!! 董卓様の孫や呂布の家族を助けるなんて!! いくらなんでも割が合わなさ過ぎる!!!」
 胡赤児は続ける。
「だから牛輔殿には黙ってたんだ!! あんたはこんなところで死んでいいひとじゃねえだろう!!!」
「……」
 牛輔は何も言わない。
「この騒ぎだ、何を盗ろうと誰にもわからねぇ……だから牛輔殿、俺たちと一緒に逃げようぜ!!!」
 胡赤児は心底牛輔のことを考えてしたことなのだろうが、牛輔にとってこれは許すことが出来るものではなかった。
「貴様!! 恥を知れ!!!」
 突然声を上げた牛輔に、胡赤児は完全にひるむ。
「私などより!! 董卓様の孫であられる董白様のほうがより尊い存在であると何故分からぬか!!!」
 普段の彼からは想像も出来ない怒りの形相だった。
 その手には剣が握られている。
「董白様はどこだ」
 胡赤児はじりじりと後ろへ下がりながら答える。
「まだ……きっと呂布の屋敷に」
「そうか」
本当ならこの男を切り捨てておきたいところだが、そんなことをしている時間ももったいなかった。
「牛輔殿!! どこへ行くんだ?!」
「決まっているだろう!! 董白様たちを迎えに行くのだ」
 それを聞いた胡赤児は仰天する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! もうそろそろ李カク殿たちの軍も都の中に入ってくる頃だ!!! そんなことする暇なんてねぇよ!!!」
「李カクたちの狙いはまず王允だ、まだ時間はある」
牛輔はすでに胡赤児に背を向け、自らの馬に跨ろうとしている。
「おれたちはどうすりゃあ?」
「どこへなりとも消えるがいい」
牛輔はそう言って、馬の鞍に手をかける。
「そうですか……」
胡赤児は暗い瞳で牛輔を見つめている。
「牛輔殿……」
「何だ」
 牛輔が振り向いたときだった。

ドスッ

「が!!」
 牛輔の腹に鋭い痛みが走る。

「……これは」
 長安の都を遠くから眺めつつ、一人の男が小さく呟く。
「一体どうなっているというのだ……?」
 男はそう言って長安の都の前でぶつかり合う軍を眺めている。
「俺も加勢するべきか……」
 男はそう言いながら自らの腕に握られた獲物に目をやる。
 そこにあるのは青龍刀。
 過去の戦いで自分に大きなものを与えてくれたもの……。
「いや、まだだ」
 そう、自分はまだどちらにつくのか考えていない。
 いや、本当は考えるまでもないのだが。
「もう少し様子を見ることにしよう……」
 男はそう言って、一人静かに馬を走らせた。

「な……」
後ろを見てみると、自分の部下が自分の腹を剣で貫いている。
 胡赤児ははき捨てるように言った。
「俺たちが逃げることを知られてると都合が悪いんでさぁ……申し訳ないですが、一緒にこれないのなら、ここで死んでくだせぇ」
「貴、様……」
刃を引き抜かれた牛輔はその場に崩れ落ちる。
 胡赤児、自分の部下全てが自分に剣を向けている。
「ぐぁ……」
 体に力が入らない、絶体絶命だった。
 自分の部下たちが、一斉に剣を振り上げる。
「う……」
 しかし、牛輔はまだ……こんなところで死ぬわけにはいかなかった。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
 牛輔の剣がきらめき、周りを取り囲む数人を切り伏せる。
「な!!」
 胡赤児は動けるはずのない男が急に動き出し、驚きに固まってしまう。
「はぁぁぁっ!!!」
 その胡赤児の脳天に、残りの部下たちを切り捨てた牛輔の剣の一撃が見舞われた。

ダンッ!!!

 頭を割られた胡赤児はその場に崩れ落ち、瀕死の牛輔だけが残される。
「く……まだ、だ」
 腹から大量の血を流しながら、牛輔はまだ立とうとしていた。
「董卓様……董白様……」
 自分はまだ死ぬわけにはいかない。
 今彼の命をつなぎとめているのはそれだけだった。
「死ねん……私はまだ、死ねん」
 もう馬にまたがることすらかなわず、ずるずると地面を這うことしか出来ない。
「私には……」
 やらなければいけないことがある。
 張済に託されたのだ、なんとしてもやり遂げなくてはならない。
「ぐ……」
 しかし、体が思うように動かない。
 ついさっきまで思うように動いていた体は鉛のように重く、腹の傷は容赦なく痛み続ける。
「く」
 牛輔は木の幹にもたれかかり、荒い呼吸を少しでも整えようとする。
「死ね……ない」
 そう、自分はまだ死ねない。
 何故自分はここまで突き動かされているのか……?
 実をいうと、彼を突き動かしているのは董卓でも董白でもない。
「華……雄」
 少し前に死んだ友……華雄のために、彼はどこまでも生きていた。
 自分にさまざまなものを教え、そして志半ばで死んでしまった一人の友、牛輔は彼が成すことのできなかったことを少しでも叶えようと、今まで戦い続けてきた。
「華雄なら……この程度の傷」
 一向に整わない荒い息のまま、牛輔はまた動き出す。

ドサッ

しかし、彼の体は簡単に崩れ落ち、もう立つことすら出来ない。
「く……」
 自分の無力さが悔しかった。
 自分の馬鹿さ加減が恨めしかった。

だが、もう何も出来ない。
「すまぬ……華雄」
 そう言って、牛輔が小さく呟いたときだった。

“なんだ? もう終わりなのかよ”

牛輔の耳に、聞きなれた声が聞こえてきた……様な気がした。
ここにあるはずのない声。
それでも……
「そう……だな」
 牛輔を奮い立たせるには十分だった。
「まだ……私、にも……できる、ことが」
 牛輔はまた動き出す。
 もう目もよく見えないが、それでも前に進もうと手を伸ばす。

ガシッ

不意に、伸ばしたその腕を掴まれた。
「?」
 牛輔は目を凝らすが、顔は見えない。
 ただ、その男の持つ獲物・青龍刀ははっきりと見えていた。
「お前……は?」
「……です」
 青龍刀の男は答えるが、牛輔にはよく聞き取れなかった。
 牛輔に比べると遥かに若い男のようだったが。
「たの……む」
 しかし、今はこの男に頼るしかなかった。
「董……白、様と……呂布の、家族を……たすけ、て……くれ」
牛輔はただそれだけを願った。
男はしばらく黙っていたが
「任されよう……安心されるがよい」
 確かにそう呟いた。
「そう、か……すまな、い」
牛輔はそう言って、表情を和らげる。
「時間が、ない……いそいで、くれ」
「心得た……」
男はそれ以上何も言うことなく、馬に跨ってその場を後にしようとする。
「牛輔殿、あなたと華雄殿は……誠に誉れ高き董卓軍の武将だ」
 男が最後に、そんなことを呟いて去っていった。
「……おぉ」
 最後まで誰かは分からなかったが、その言葉は、死に行く彼を救うには十分な言葉だった。
「そう、か……」
 再び木の幹にもたれなおし、牛輔は穏やかに笑う。
「私も……少しは、董卓様に、誇る……ことが」

“ヒャハハハ、今頃気がついたのかよばーか”

 そこに、先ほどの声が再び響いてきた。
「あぁ……なるほど、お前、か」
 声の主に気がついた牛輔は、やはり穏やかな表情のまま声にむかって語りかける。
「私を……迎えに来たのか?」

“なわけねーだろ、地獄の道のりは自分で歩け、ヒャハハ”

 彼らしい、牛輔はそう思うことしか出来なかった。
「一つだけ……聞いていいか?」

“なんだ?”

声の返答を聞いてから、牛輔は続けた。
「お前は……あのようなところで、董卓様や董白様を残して……無念では、無かったのか?」
 牛輔の問いに、声は迷うことなく答えた。

“全然、死んだのは自分が間抜けだったからだ、それに元々董卓様に俺は必要なかったし、董白のお嬢にも呂布の娘がいる……何を無念に思うことがあんだよ?”

「はは……やっぱり、お前らしい」
 そう笑う牛輔に、声が逆に問いかけてきた。

“そーゆーてめぇはどうなんだ? 俺にいろんなこと押し付けられてつらくなかったのかよ、こんなところでくたばって……悔しくねぇのか?”

 

 

牛輔も、問いに迷い無く答えた。
「たしかに、お前にはずいぶんと苦労ごとを押し付けられたが、これが……これこそが私の生き様……後悔など……あるわけが、ない」
 自分でも驚くほど、彼は今の自分に胸を張ることが出来た。

“あーそーかよ……ならもういい、聞きたい事は聞いたからな、あばよ”

声の主もそれで満足したのか、それ以上は深く追求しない。
「そっちで会うことがあれば……また、酒でも酌み交わそう」
 牛輔の言葉に、声の主は答えなかった。
 どうやら、もうここにはいないようだ。
「やれやれ……最後まで本当に……お前らしい」
 残りの力で呟いたのは、たった一言。
「董白様……呂華姫と、お幸せに……」
 最期にそれだけ呟いて、董卓軍の武将・牛輔は静かに息を引き取った。

「……あぁ」
厳氏は外の様子を伺いながら落ち着かない表情をしている。
「厳氏様……大丈夫です」
 声のほうに振り向いてみると、そこにいたのは侍女服に身を包んだ董白だった。隣には、未だに事態を把握していない呂華がいる。
「そうですね……」
 董白の姿を見た厳氏の表情が少し和らぐ。
「張済はいいました“迎えをよこす”と……信じて待ちましょう」
 董一族などのしがらみから解放された董白は、以前とはどこか違っていた。
 彼女自身、自分がどう変わったのかよく分からない。
 しかし、もう迷うことなど無かった。
「いざとなれば、私が何とかして見せます」
 まだ十を過ぎたばかりの少女が口にするには、あまりにも重い言葉。
 だが、董白の瞳には一点の曇りも無い。
「えぇ……ありがとう董白様」
 厳氏がそう言ってお礼を言ったときだ。

ガシャン!!!

 屋敷の窓を突き破り、一騎の騎兵が屋敷の中に飛び込んできた。
「!!!」
 厳氏たちはあわてて身構えるが、董白は騎兵の姿を確認し、驚きの声を上げる。
「あなたは、張遼!」
 青龍刀を手に、馬に跨っていた男・張遼は静かに董白たちを見ている。
「お迎えに上がりました……ことは一刻を争う、直ちにこちらへ参られよ」
 張遼はそれだけ言って、再び屋敷の外に出て行く。
「……」
 しばらくどうすればいいかと迷っていた厳氏たちだったが
「行きましょう」
 これ以上の迷いは無駄と覚ったのか、厳氏が一歩を踏み出した。

 屋敷の外では、張遼が輿を用意して待っていた。
「この長安ももうもちません、急いでこの輿に乗ってください」
 厳氏も呂華も、いわれたとおりに輿に乗る。
「まずあなた方にはホウ舒に逃げ延びていただき……ころあいを見計らって呂布殿のもとに送り届けさせてもらいます」
 張遼が、あえて董白にそういった。
 問うているのだ。“仇のところへ行くがいいのか?”と。
 無論、董白の答えは一つだった。
「見てのとおり、私は呂華姫の侍女に過ぎません……その私にあえて断る必要などありませんよ」
 董白の言葉を聞いた張遼が、少し驚いた顔をする。
 しかし、すぐに表情を改めると
「……そうでしたな、では急ぎ輿に乗られよ」
 そう言って自分も馬に跨る。
「道中の護衛は任せます」
 厳氏の言葉に、張遼は答える。
「御意に、今この時より……我は呂布軍の武将なり、必ずやあなた方の命をお守りしよう!!」
 青龍刀を勇ましく掲げ、張遼は輿の先を走っていく。

 その前をさえぎる、数人の兵士。
「そこの輿、少し止まれ!!」
 李カクたちが率いる董卓軍の残党だった。
 張遼は内心で舌打ちする。
『呂布殿……やはりあれだけの軍勢を抑えることは出来ませんでしたか……』
 張遼は呂布の無事を祈りつつ、今の状況を考える。
 目の前にいる数人の董卓軍はおそらくこの混乱にまぎれて民家を荒らそうと考えていた下衆。
 張遼を武を持ってすれば敵ではない。
 だが
「む、お前は!!」
 張遼の顔を見た董卓軍が驚きの声を上げる。
「ちっ!!」
 そう、もと董卓軍の彼らが虎牢関の戦いを境に董卓軍を抜けた張遼のことを知っていても不自然なことは何もない、そしてそんな彼らが裏切り者である張遼を放って置くはずがなかった。
「張遼だ!! 董卓軍の裏切り者がこんなところにいるぞ!!!」
 兵士は大声をあげ、仲間に知らせる。
「はぁっ!!!」
 これ以上付き合っていられなかった。
 張遼は青龍刀を振るい、目の前の数人の兵士を一瞬で切り捨てる。
「急ぐぞ!!」
 輿を引く者にそう言い、張遼は自慢の馬術を用いて疾風となる。
「おぉぉぉぉ!!!!!」
 騒ぎを聞きつけて群がってくる董卓軍を切り捨てては進み、輿に群がるものを蹴散らし、張遼は都の外へ向かって走っていく。
 だが、どう考えても数が多すぎる。
 一人でなら簡単に逃げることが出来たのだろうが、輿を守りながらでは張遼もうまく進めない。
「おのれっ!!」
 そうしているうちに四方を囲まれてしまう。
「裏切り者を捕らえろ!!」
 董卓軍が一斉に飛び込んでくる。
 張遼は諦めることなく青龍刀を構え、応戦しようとする。
 その時だった。
「はぁぁ!!!!」
 何騎かの騎兵が弾丸のような勢いで董卓軍を蹴散らし、張遼たちを救った。
「こっちだ!! 急げ張遼!!!」
 先頭の甲冑を纏った武将が張遼へ声をかける。
「あなたは、高順殿!!」
 張遼を救ったのは、呂布貴下の猛将・高順だった。
「さぁ!! この先に部下を待たせている、急ぐぞ!!!」
 高順はそう言って先を走る。
「心得た!!」
 張遼は輿を守りながら馬を走らせ、高順の後に続いた。

 厳氏たちを乗せた輿は、張遼・高順の活躍で無事都を脱し、彼女らは危機を免れた。
 この後この張遼・高順の二名は呂布軍の看板武将として活躍することになる。
 一方、鬼神・呂布もわずか百ほどの軍で奮戦するが、十万の大軍を抑えることは出来ず、やがて敗走してしまう。
 呂布の敗走により長安はあっけなく李カクたち率いる董卓軍に攻め落とされ、董卓暗殺にかかわったものはことごとく惨殺された。
 司徒・王允も一族郎党全て皆殺しにあい、献帝も李カクたちの手中に落ちてしまう。
 李カクたちは董卓のやったことをなぞるかのように暴虐を繰り広げ、長安の都を再び混乱に陥れる。
 そうして一時の栄華を誇る李カク・郭たち旧董卓軍だが、しばらく後に歴史の闇に消えていくことになる。
 各地の群雄のぶつかり合いはいよいよ激化し、群雄割拠の時代に突入する。

 

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