〜虎牢関の戦い・前編〜

第1話「虎牢関の鬼神」

 

虎牢関――――――

連合軍の攻撃に備え、董卓軍はすでに強固な陣形を整えていた。
その陣を満足そうに眺めつつ、董卓軍の参謀であり軍師でもある男・李儒は静かに呟く。
「これだけ十分な備えが出来たのも、ひとえに華雄将軍の判断力というものですか……」
李儒は空を見上げ、続ける。
「今だから言いましょう……華雄将軍、私はあなたを利用していました」
李儒は空から陣へと視線を戻した。その視界の端に、戦の始まりをただ静かに待ち続ける呂布が映る。
「呂布のごとき飼いならしにくい男に比べ、あなたはとても扱いやすかった」
董卓軍の武将の中でも、より董卓に心酔していた華雄。
「しかし残念なことに、あなたの名は董卓様の心に残ることは無いでしょう」
董卓とはそう言う男だ。
もちろん李儒自身も死んだもののことをいつまでも記憶にとどめておくつもりは無い。
 そして華雄もそれに未練を感じることは無いだろう。
「ですから、せめてもの手向けに……あなたのもたらした、邪魔者共を一掃できるこの戦を……」
両腕を開き、李儒は声を上げた。
「我が軍略で彩り、ただあなたに捧げましょう!!」

 


「洛陽までの道のりはそう遠くない!! さあ皆の者、進むのだ!!」
馬上でやる気をみなぎらせ、袁紹は叫ぶ。
 水関を突破し、反董卓連合軍は少しずつ、しかし確実に洛陽の都へと進んでいた。
「ふぁあぁ〜」
公孫サン率いる兵士たちに混じって行軍している劉備は、器用にも馬の背に寝転がり、大きくあくびをした。
それを見た公孫サンが劉備へ声をかける。
「変わってないな君は……盧植先生のところでともに学んでいたときのことを思い出す。私も人の事は言えんが、いつも君はそうやってあくびをして、先生にしかられていたな。今もそんなに退屈か?」
「退屈じゃねぇけど、眠くなってきたんだよなぁ」
「なんでまた?」
「行軍が遅え……」
劉備の素直な意見に、公孫サンは苦笑する。
「これだけの大軍だ、どうしてもすばやい進軍は無理だ。だが、そこまで気にすることは無いのではないか? 一見のんびりしているが、董卓軍側からすればこの速度で進軍されれば迎撃準備も整うまい」
「いーや」
劉備は首を振る。
「どうしてだ?」
「雲長の話だと、董卓軍の華雄は自分がやられる前にさっさと撤退命令を出してたそうだ……」
「そういえば……大将が討ち取られたにしては敵兵達にうろたえも無かったな」
今度は劉備もうなずく。
「あぁ、さっさと董卓軍は引き上げたんだ、この速度での進軍じゃどう考えても間にあわねぇ」
「ならば洛陽への道をふさぐため、董卓はどのあたりに陣を敷くだろうか?」
「雲長が聞いた話だと虎牢関だそうだ……なぁ?」
劉備の隣で静かに馬を進めていた関羽は、話を振られうなずく。
「はい、部下たちに、董卓へそう伝言するよう、華雄が命じていました」
「虎牢関っ、ならばもうすぐではないのか?!」
「そうなるな」
劉備はさも当然のように呟く。
「袁紹殿はそのことを?」
「知らねぇだろうな」
劉備の言葉を聞いて公孫サンは驚く。
「で、ではすぐに言ったほうが!!」
「いいっていいって、ちゃんと分かってるやつはいるだろうから」
あわてる公孫サンを劉備は止める。
「それよりも気になることがあるんだろ? 雲長」
再び劉備に問いを向けられ、関羽はうなずく。
「はい……華雄が死ぬ寸前……どうも気になることをもらしていたので」
「気になること?」
「“虎牢関は、悪鬼羅刹をも薙ぎ殺す『鬼神』の檻”……」
「『鬼神』?」
関羽の言葉に公孫サンも首をかしげる。
 しかし劉備はいつもどおりだった。
「ま、行きゃわかるんだ……考えんのはなしにしようぜ」


 一方、連合軍の先頭側、袁紹たちが率いる軍。
「孟徳……私は董卓を許さん」
「一族の件は、気の毒だったとしかいえない」
袁紹は曹操と並んで会話している。
 董卓によって都にいた袁紹の一族はことごとく虐殺されていた。
「我が一族の末路は……この戦が終わるころの董卓の姿だ!! このまま一気に洛陽まで行くぞ!!」
意気込む袁紹に、曹操が声をかける。
「そのことだが……」
「どうした? 改まって」
袁紹が首をかしげる。
「董卓軍は思ったより早く陣を整えているはずだ……水関での敵軍の撤退の速さは君もその目で見ただろう?」
「う……うむ」
「おそらく私の予想では、董卓は自身兵を率いて虎牢関あたりに陣を敷いていることだろう」
それを聞いた袁紹は仰天する。
「な! も、もうすぐではないか!!」
「ははは、どうしたのかね本初……まさか怖気づいたのか?」
曹操が不適に笑ってそう言うと
「ふ、ふざけるな!! 思ったより早く董卓と戦えるから武者ぶるいがしただけだ!!」
「ほう? 君自身兵を率いて虎牢関へ行くというのかね……大将は最奥で控えているものではないのか?」
「いいや!! 私自身が出ないと軍全体の士気にかかわる!! 断固として私は出るぞ!!」
そう言って意気込む袁紹に曹操は言う。
「ならば私も止めはしないよ、全力を持って君を支えよう」
「うむ、頼むぞ孟徳!! この戦は遊軍として動くお前の軍の動き方によって優劣が変わってくる!! よぉし! それでは全軍速度を上げよ!!」
袁紹はそう言って自らの軍を率いてさらに早く走り去った。
「ふむ……」
曹操はそれを見て満足そうに笑う。
 その時だった。
「わざとだな孟徳……」
今までずっと曹操の後ろに控えていた男が突然口を開く。
「何のことだね、惇?」
曹操は自らの後ろに控えていた男・夏侯惇(字は元譲)のほうを向く。
「とぼけるな孟徳、袁紹を焚きつけ、虎牢関へ行くよう差し向けただろう」
「気になるかね?」
「当たり前だ、あの男に先陣を切るなんてことが出来るわけないだろう、何のためだ?」
そう聞いた夏侯惇に、曹操はしばらく考えて答えた。
「彼も乱世に生きるものなら、肌に感じて知らねばならない……」
天を仰ぎながら、曹操は言った。
「“戦い”というものがどんなものかということを……」

 

虎牢関―――――――

それから数日の後、董卓軍と反董卓連合軍は戦場で激突した。
「皆の者!! 虎牢関の門を破るのだ!!」
袁紹が全軍へ向けて号令した。

―ワァァァァァ!!!!―

兵たちが怒涛の勢いで押し寄せ、虎牢関へ殺到した。
「ぎゃあ!!」
「ぐあっ!!」
連合軍の勢いに董卓軍は為すすべも無くやられていく。
「そうだ!! 一気に攻め立てよ!!」
袁紹も自身先陣を切って戦っている。

 反董卓連合軍本陣付近――――――

「私も出よう!! 劉備殿たちはしばらく本陣付近の守備を頼む!!」
白馬義従の名にふさわしく、公孫サンは一匹の白馬に颯爽と跨り、自慢の“白馬陣”を率いて本陣を飛び出した。
「何でだよチクショー!!!!」
またしても不満を漏らしたのは張飛だった。
「まぁまてよ張飛、待つことくらい犬でも出来るぜ?」
「うっせー!! だぁーもうつまんねー!!」
張飛は何もない空間で自慢の蛇矛を振り回す。
「今はまだ押さえよ、益徳……この戦、われわれの出番はきっとある」
静かに言ったのは関羽だった。
「『鬼神』……」
彼の頭の中では今もその言葉が回っていた。

「愚かな……」
李儒は、今自分がいる場・虎牢関めがけて攻めてくる連合軍を見ながら、乾いた笑みを漏らした。
「虎牢関の門を解き放てば、あなた方に訪れるのは……破滅です」
門を破るために衝車を持ち出した連合軍を冷ややかに見つめつつ口元をゆがめると、李儒は関から姿を消した。

「そうだ!! 衝車を使い門を破れ!!」
袁紹の号令で門付近に備え付けられた衝車が門めがけて打ち付けられた。
難攻不落の関と名高い虎牢関だったが、連合軍の圧倒的な攻勢の前に今、確実に落とされようとしている。

―ガァン!!―

幾度も叩くうち、門に亀裂が入る。
「いいぞ!! その調子だ!!」

―ドガァン!!!―

その言葉と同時に、門は破られた。
「よし!! この戦勝ったも同然だ、皆の者すすめぇ!!!」

―ワァァァァァァァァァ―

袁紹の号令で、連合軍の兵たちは一斉に虎牢関の門をくぐろうとし……

―          ―

次の瞬間、全てのものが屍と化した。


「!!」
「?!」
門に殺到していた兵士たちはすでにバラバラの屍と化して門付近にばら撒かれている。
否、殺されたものたちは“屍”と形容することが躊躇われるほどに原形を失っていた。
彼らはおそらく、自分が殺されたことすら分からず死んだだろう。
「な……な」
袁紹は驚きでまともに声を上げることが出来ない。
「なんだ?!」
生き残った兵士が何人か、驚いて門の中を覗き込んだときだった。

―           ―

紅き暴風が門の中より飛び出した。
「!!」
「?!」
声を発する暇もなく、門を覗き込んだ兵士は全て紅き暴風に食い殺された。
「あ、あれは!!」
全てを薙ぎ殺した暴風の正体は、たった一人の男だった。
 炎のように赤く、血のように紅い名馬『赤兎』に跨り、その手にはこの世のものとは思えない巨大な大矛『方天画戟』が握られていた。
「……」
その瞳に生気はなく、男は屍を無感動に見つめている。
「りょ、呂布だ!!」
誰かが叫んだ。
「な!!」
その名に、全てのものが凍りついた。
 呂布、字は奉先。彼と戦場で出会い、生き残ったものはなく、彼と矛を交えたものは、己の不運を呪い死を覚悟するという、人中の魔物。
彼に殺されたものはこの世にその形すら残さず、存在ごと掻き消されるという。
その人外の強さを恐れ敬い、人々は彼をこう呼んだ。

―人中の『鬼神』飛将軍呂布―

 

「う」
「うわぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
誰かが叫び声を上げて逃げ出した。
 その恐怖は瞬く間に戦場に伝染し、連合軍の兵士は恐慌に陥った。
「な……えぇ?!」
周りなど全く見えず、死に物狂いで逃げ出す兵士たちに、袁紹はどうすればいいか戸惑う。
「ま……」
待て、と言おうとして彼は気付いた。
「な……」
呂布に背を向けたもの全てがいつの間にか惨たらしい肉片に変わり果てていることに。
 袁紹は運がよかった。彼も兵士たちと同じように逃げ出していたら、今頃その命を失っていただろう。
「馬鹿な……」
袁紹は目の前の現実が理解できない。
 剣を持つ腕が震えている。
「……」
「ひ」
呂布と目が合った。
 袁紹はどうすればいいかわからず、ただ固まる。
「……」
呂布は相変わらず無言で、血にぬれた大矛を動かした。

―ズガァッ!!!!―

「なぁ!!」
次の瞬間、袁紹の跨っていた馬はその身を砕かれていた。
「うぉ!!」
地面に転げ落ちつつ、袁紹は周りを見る。
 誰もいない、あるのは屍だけだった。
「……」
呂布はゆっくりと近づいてくる。
「う」
袁紹の死は確実だった。
「……」
一歩、また一歩と破滅を運ぶ鬼神が近づいてくる。
「ぬ」
しかし、袁紹もまた歴史に名を残す英雄の一人……。
「ぬおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」
簡単には死ななかった。
「!!」
彼は自らの足で逃げ去った。
 反射的に呂布は袁紹の後を追う。
一日千里をかけるという名馬・赤兎。音に聞こえる駿馬さえその馬脚から逃げられる事は出来ない、ましてや人の足で逃げられるはずもない。

はずだったのだが……
「ぬぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
袁紹は驚異的な逃げ足で、赤兎から逃げていた。
「……」

―ヒュ―

―ブン―

呂布は幾度となく馬上から大矛を振るうが、袁紹の不規則な動きにうまく逃げられてしまう。
 そうこうしているうちに、袁紹は味方の第二陣あたりまで逃げ切っていた。

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