〜董卓の死後〜

第1話「董一族の末路」

 

人々を恐怖に陥れた魔王・董卓は呂布の手により殺された。
董卓の屍は大路にさらされ、道行く人は魔王の哀れな末路を鼻で笑った。

長安北西・ビ城―――――。


「オオオオオオオオオオ!!!!!」
多くの兵士たちが城門に殺到し、門をぶち破る。
 門を破った兵士たちは、城の中の人間を手当たり次第に殺していく。
城の中の人間はなすすべもなく殺され、城内に秩序などは全く存在しなかった。
 城の中で殺されているのは董卓軍の者や董卓の一族だった。
いつの間にか城内には火の手が上がり、混乱はますます激しくなっていった。
一方、城の中の人間をことごとく殺しては、財宝を好き放題に奪い取るものたち、彼らは朝廷の軍だった。
 それらの軍を遠くから眺めている男がいる。
この軍を率いる将軍の一人、皇甫嵩。
「董卓の一族を皆殺しにせよ!! 老若男女!! 一切の情けをかけるな!!!!」
 遠くからそんな声が聞こえてくる。
曲がったことが嫌いな彼だが、自分たちの兵たちの略奪や殺戮を止めようとしなかった。
「董卓よ……」
彼は燃え盛る城を眺めながら、小さく呟いた。
「地獄の底から見るがいい……これが、お前の犯した罪業への仕打ちなのだ……」
皇甫嵩の瞳からは涙が流れている。
「なんと……虚しい」
彼の呟きは喧騒にかき消され、誰にも聞こえなかった。

バン!!

一つの間の扉が蹴破られる。
「……」
部屋の中にいた一人の男が、なだれ込んできた兵士を冷ややかに見つめている。
「見つけたぞ!! 董卓軍の毒・李儒よ!!」
兵士の一人が剣の切っ先を向け、男・李儒の名を呼ぶ。
「やれやれ……」
一方李儒は少しも焦る様子はなく、落ち着いた仕草で兵士たちに向き直る。
「貴様の主は死んだ!! すぐに貴様も後を追わせてやろう」
兵士がそう言って一歩を踏み出す。
「……お願いしましょうか」
李儒もそう答えながら一歩を踏み出す。
「ふん、董卓などに仕えなければもう少し長生きが出来たものを」
李儒はそんなことを呟いている兵士を、やはり冷ややかに見ながら思っていた。
『愚かな……』
董卓に仕えることがなければ、自分はこの世に絶望し、とうの昔に死んでいただろう。
 限りなき“悪”の魅力を放ち続けた董卓。
李儒はいつの間にか董卓という男の魅力に取り付かれていた。
 つまり、董卓亡き今の世に未練など何もない。
そういえば、同じように董卓に忠誠を誓い死んでいった男が一人いた。
 今となっては名前すら思い出せない。
「一つ……忠告しておきましょう」
「何?」
突然口を開いた李儒に、連合軍の兵士は戸惑う。
「確かに董卓様は亡くなられました……しかし」
李儒は続ける。
「“董卓”の名はこれからも後世まで語り継がれ“董卓の所業”は消えることがないでしょう」
「どういうことだ?!」
李儒は兵士の問いに、一呼吸の間をおいて答えた。
「“董卓”という“絶対の悪”は、本人が消え去ろうともどこかに根を残す……いずれ第二、第三の“董卓”が現れ……彼の“悪”は永遠に消えることがないでしょう!!」
「くだらん!! その根を刈り取るために我々がいるのだ!!」
兵士はそう言って剣を振り上げる。
「無駄です……」
李儒はゆっくりと瞳を閉じ、呟いた。
「“董卓”は永遠に不滅……」

ザシュ!!!

次の瞬間には李儒の首は彼の胴体を離れ、部屋は朱に染まっていた。

 最初、少女には何が起こったのかわからなかった。
つい先ほどまでは、いつもと変わらぬ退屈な日常が続いていたのだ。
 それが今となっては、自分が日々をすごしていた城が炎に包まれ、殺されるものの悲鳴と殺戮の音が響いてきている。
「どうなって……いるのですかっ」
煙でうまく息が出来ない。
 むせ返りながらも、少女・董白は城の中をさまよっている。
突然城に押し寄せてきた朝廷の軍。
 彼らの話を信じるのなら……
「おじい様が……死んだ」
誰が殺したのか、どうやって死んだのかは分からない。
 ただ、城に殺到してきた兵士たちは口々に董卓の死を叫んでいる。
魔王として人々から恐怖されていた董卓。
 董白はその祖父のことが好きではなかった。
きっと祖父が死ぬとき、自分は涙を流すことは無い……

ずっと、そう思っていた。

しかし、実際は違った。
「どうして……」
視界が滲んでいるのは、煙のせいではない。
「おじい……さま」
どうして自分を利用していただけの祖父の死に、涙を流さなければいけないのか?
 しかし、そう思いながらも、彼女の瞳から涙が止まることは無い。
心のどこかでは分かっていたのだ。
確かに董卓は自分の事を利用していた。
 しかし……

自分のことを“孫”として確かに愛していてくれた……。

いつも自分を安全な場所に匿い、自分は拘束されていると思い続けた。
 しかし、それはずっと守られていたということ。
そうして匿われている間も、自分は不自由などしたことはなかった。
 いつも、祖父が自分に気を回してくれていたから。

「おじい様……ごめんなさい」

 まだ決して長い人生とはいえないが、少女はこの時、生まれて初めて、誰かに謝った。
廊下に転がっている自分の家族や使用人の死体。
誰一人として名は覚えていないが、見てみると痛々しい。
董卓と自分もこのような仕打ちを誰かに続けてきたのだろう……。
これはその仕打ちに対する天からの報復なのか……。
 そう思うと誰かを恨むことすら出来ない。


「けほっ、けほっ!!」
城のあちこちが燃え盛り、もうどうすればいいか分からない。
 朝廷の兵士に見つかれば、自分も殺されてしまうだろう。
しかし……
「それだけは……嫌」
そう、董白は絶対に死ねなかった。
「りょ……か」
想い続けるのは、一人の少女。
このような時になっても董白は呂華のことを考えていた。
 大切な祖父は死んでしまった。
しかし、呂華……彼女さえいれば、自分はまだ生きていける。逆にいうと
 呂華を残しては、絶対に死ねなかった。

彼女には私がいないといけないのだから……

薄れいく意識の中で、彼女はそれだけを考え続ける。
 しかし、運命というものは時に残酷だった。

ザッ

「!!」
廊下の前に突如現れた一人の兵士。
 右手には血塗られた剣を、左手には切り取った董卓軍兵士の首をぶら下げている。
「……」
男が董白に気がつく。
持っていた首を地面に投げ捨てると、何も言わずに剣を構えなおし、董白に向ける。
「……ぁ」
声が出ない。出たところで助けなど来ないが。
『呂華……』
死にたくない。死にたくない。
しかし、死は確実に迫ってきている。
「……」
兵士が確実に近づいてくる。その瞳に残酷な光を宿し、次の瞬間には董白も辺りに転がっている董一族と同じ末路をたどるだろう。

ブゥン……

兵士がゆっくりと剣を振り上げた。
「りょ……か」
死ぬのなら、せめて最期は、大切な者の名を呟いて。
そう思って董白が呂華の名を呟いたときだった。

ドスッ

「!?」
董白に剣を振り下ろそうとしていた兵士の首から突然、刃の先端が突き出した。
「ごふ」
兵士は断末魔を残すことなく、その場に崩れ去ってしまった。
 兵士の後ろには短刀を握った一人の男が立っていた。
董白に刃を振り下ろそうとする兵士に、後ろの男が刃を突き立てたようだった。
「……ち」
自分の服に兵士の血がついたのが気に入らないのだろう、男は小さく舌打ちをしている。
 その男の事を、董白は知っていた。
「賈……ク」
董白を救ったのは、董卓軍の参謀“闇の軍師”賈クだった。

 

 

「……」
賈クは冷ややかな瞳で董白を見下ろしている。
 昔から、董白はこの男の事が嫌いだった。
祖父に仕えていながら、決して従順な態度は見せず、いつも何かをその冷たい瞳に宿していた。
 今このときになっても、賈クは明らかに、董白のことを“見下し”ていた。
「フン」
「な、何がおかしいのです!!」
冷たい瞳のまま鼻を鳴らした賈クに、董白は声を荒げる。
賈クは何の遠慮もなく答えた。
「せっかく生き残りがいると思ったら……よりにもよって貴様のような小娘とはな」
「な!!」
賈クの言葉に、董白は言葉を失う。
「あなたは!!」
「うるさい、黙れ小娘……」
賈クは無理やり董白の口を塞ぐと物陰に身を隠す。

タタタタタタタッ

すぐ近くを朝廷の兵士が通り抜けていく。
 兵士が去ってすぐ、賈クが呟いた。
「死にたくなければ、黙って俺について来い」
「……」
本当ならこんな男について行きたくはなかった。
 しかし、今の彼女にはそれ以外の選択肢が存在しなかった。

どれくらいのときがたったのか、おそらく一刻もたっていないだろう。
董白は賈クにつれられてやっとのことで城の中から逃げ出していた。
「あ……」
董白は丘の上から改めて城を眺める。
 ついさっきまで自分が当然のように暮らしていた城は炎に包まれ、未だに殺されるものの悲鳴が響いてくる。
「……」
言葉が出なかった。
その時だった。
「董白様!! ご無事で?!」
 呆然と立ち尽くす彼女の元に、一人の武将が走り抜けてきた。
「張済……」
崩れ落ちるように馬から飛び降りた武将・張済は董白の前でひざまづき、拝礼をする。
「ご無事で……ご無事で何よりでございます!!」
瞳から涙を流しながら、張済は地面に額を打ち付けている。
 それが終わると、張済はつまらなげに立ち尽くしている賈クへと視線を向ける。
「賈ク……他の方は?」
「生きていたのはそこの小娘一人でした、董一族その他は片っ端から殺されました」
張済の問いに、賈クは淡々と答えた。
「そうか……遅かったか」
それを聞いた張済の表情が暗くなる。
「……」
董白にはわけが分からなかった。
 賈クと張済、確かに二人とも董卓軍のものだが、この二人に特につながりはなかったはず。
 董白の視線に気がついた張済が、申し訳なさそうに答えた。
「混乱されるのも無理はありません、しかしどうかお聞きください……この賈クは、董卓軍の軍師ということですが……本当は私直属の部下なのです」
「フン」
賈クが否定をしない、つまりはそれが事実だった。
「董卓軍はさまざまな思惑の者が控えていました。そこでそれを内部から監視するための役を、私は賈クに命じていたのです」
「董卓様以外は誰も知らなかったがな」
賈クは下らなさそうに前髪を掻き揚げる。
「董卓様が討たれたと聞き、私はその手が董一族の者全てに伸びるのではないかと思い、ひそかに現地にいた賈クに伝令を出したのですが……結局救えたのは董白様一人だけでした」
申し訳ありませんと、張済は再び頭を下げる。


「おじい様が討たれた、というのは本当なのですか?」
とりあえずそんなことしか聞けなかった。
「……」
「事実だ、董卓様は殺された……」
言いよどむ張済の代わりに、賈クがに答えた。
「いい加減現実を受け入れろ、これだけの事が起これば小娘の貴様にも分かるだろう」
「賈ク!! 控えぬか!!」
無遠慮な賈クの物言いに、張済は声を荒げた。
 賈クは仕方なく黙り込む。
「確かに董卓様は討たれました、あの朝廷の軍は董一族を根絶やしにするために出されたものです」
改めて張済が説明した。
「そうですか……誰に殺されたのです?」
「三公の一人・王允の謀でございます」
董白の更なる問いに、張済は迷いなく答えた。
「分かりました……」
 とりあえずそんなことを聞いたが、今となってはそんなことどうでもいい。
自分が一番知りたいこと。
「呂華は、無事なのですか?」
「……」
「ビ城がこれだけ混乱しているのです、長安の呂華は平気なのですか?!」
董卓が殺されたのだ、彼の義子である呂布も無事では無いかもしれない。
 そうなると呂華が……
董白はそれだけが心配だった。
「……」
しかし張済は、何故か返答に困っていた。
『まさかっ!!』
董白の脳裏を嫌なものが駆け巡る。
「どうなのですか!! 答えなさい!! あの子には!! 呂華には私がいないと!!」
張済に掴みかかりながら、董白は大声を上げて取り乱す。
「安心しろ、呂布の娘は無事だ」
そんな董白へ、賈クが小さく呟いた。
「え……」
それを聞いたとたん、董白の体から力が抜ける。
「よか……った」
祖父を失い、呂華まで失ってしまったら、自分は本当に生きて行けない。
 しかし、それは大丈夫だという。
心底安堵した董白を見て、賈クは吐き捨てた。
「おめでたいな……」
「……何です?」
賈クの口調には明らかな“侮蔑”が含まれている。
 自分の呂華への思いを馬鹿にされているようで、董白にはそれが気に入らなかった。
賈クは続ける。
「ククク……おめでたいな……と言ったんだ……本当に、貴様はとんだ道化だ」
一切の遠慮などなく、賈クは董白のことを笑う。
「どういうことです!! 呂華の事は嘘なのですか!?」
声を荒げる董白に対して、賈クは笑いをこらえることなく答える。
「いいや、今も元気にしているだろう……何なら今から呂布の屋敷へ連れて行ってやる、どうせ貴様に行くところなどないのだからな……ククク」
「……ならば、私が道化だというのは、どういうことですか」
賈クは冷たい瞳を董白に向ける。
「いいだろう……教えてやろう」
「賈ク!! よさぬか!!」
張済が賈クを止めようとするが、次の瞬間、賈クは口を開いていた。
「董卓様を殺す計画を立てたのは確かに王允だ……しかし、殺した者は別に居る」
「え?」
「貴様の祖父を殺したものの名は、“呂布”……」

賈クの言葉が、今ここに……一つの“呪い”を形作る。

「貴様が盲目的なまでに溺愛する小娘、呂華の“父親”だ……」

 

 

「な……」
一瞬、世界が止まったような気がした。
「今……なん、て」
動揺で舌がうまく回らない。
 体から嫌な汗が噴出してくる。
「何度でも言ってやろう……董卓様を殺したのは呂布だ、つまり貴様は“仇”の娘を今も心配しているんだ」
「……う、そ」
信じられない、信じたくない……。
董白頭を抱えて首を振る。
「嘘です……そんなこと、ありません」
「本当に惨めだな……そういえば、貴様はさっき言っていたな“呂華には私がいないと”と」
賈クは董白に精一杯の哀れみを向け、呟いた。
「そんなことは無い……あの小娘には貴様など必要ない」
「!!」
「間違えるな、貴様が何よりもあの小娘を必要としているだけだ……“魔王の血”をその身に宿す貴様は、少しでも“人”でありたいがために、一人の少女に愛を向けているに過ぎない」
「賈ク!! 黙らぬかっ!!」
見かねた張済が怒鳴り、賈クはやっと口を閉ざす。

自分が人でありたいために、呂華に愛を向けているだけ……

考えた事もなかったが、もしかするとそうかもしれない。

否定が……できない。

賈クの言葉が呪いのごとく心に残り、自分の体を蝕んでいる。
「と、董白様、ここは危険です……とりあえず安全なところへ参りましょう」
張済が董白を支え、自分の乗ってきた馬に乗せる。
 董白はうつろな瞳で何も言わない。
「つらいでしょうが、ひとまずは先ほど賈クが言ったように、呂布殿の館に匿ってもらいます……呂布殿の奥方様には話をつけていますので」
本当なら、久しぶりに呂華に会えるということで胸も躍るはずなのに……。
「……」
今董白の心には“黒い”何かが渦巻いていた。

 

 

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