〜徐州の戦い〜

第4話「夏侯の一族」

 劉備・曹操両名の徐州での最初の激突から一晩明けた朝。
 曹操は配下の夏侯淵と徐州の城を眺めながら会話をしていた。
「すまないね、私としたことが」
 曹操はそう言って夏侯淵のほうをむく。
「いえ、このたびの責任は全て私にあります……まさかこんなことになるとは」
 そう言って大きなため息をつく。
 こんなこととは当然、前日張飛によってさらわれてしまった彼の姪・夏侯翔のことである。
「私としたことが張飛君を前にして少々調子に乗ってしまったよ」
「殿が調子に乗っているのはいつもの事なので気にしていません」
「何か私の普段の行いを前提から勘違いされている気がするのだが……まぁいい」
 夏侯淵のツッコミを軽く流し、曹操は再び口を開く。
「というより彼女は何でこんなところに居たのかね?」
「いや……気がついたら兵糧の中に紛れ込んでいまして……都までの護衛に兵を裂くわけにも行かないと思い仕方なくここまでつれてきたのですが……」
 まさかこんなことに……そう言いながら夏侯淵は再びため息をつく。
「はははは! それは面白い! 君といい、惇といい、夏侯一族は本当に面白いね」
「殿に言われたら夏侯一族も終わりですね……」
「淵……何か微妙に気になる言い回しだが、君とは一度よく話し合う必要がありそうだね」
 そんな会話をしながら、曹操は再び徐州の城に目を向ける。
「まぁ劉備君のところに居るんだ、下手に自軍の幕舎にいるよりは安全だよ」
「はぁ……」
「それに返してほしいと頼めばすぐに返してくれる……」
「……いえ」
 曹操の言葉を、夏侯淵が遮った。
「下手にこちらが彼女を取り返そうとすると、向こうも彼女を交渉の道具に使うことはほぼ間違いありません……彼女一人のためにこのたびの徐州侵攻の旗色を少しでも悪くするものではありません」
「というと?」
 曹操の問いに、夏侯淵は迷いを断ち切った瞳で答える。
「彼女の奪還は諦めましょう、彼女は自分の意思でここについてきた……彼女に責任がないわけでもない、女とはいえあの者も夏侯一族……彼女には殿のために犠牲になってもらいます」
「……そうか」
 夏侯淵の瞳を見て、曹操もそう言ったきり何も話さなくなってしまう。
 そうしてしばらくの沈黙。
 その沈黙を破ったのは曹操だった。
「わかった、君の姪には悪いが今回彼女の奪還は諦める……夜明けと同時に徐州への総攻撃を開始する……いいね?」
「はっ!」
 そうして二人でうなずきあい、今にもその場を動こうとした時だった。

―ダッ―

「もっ、申し上げます!!」
「?!」
 荀攸が彼には珍しい焦りの形相でその場に現れる。
「どうしたのかね?」
 荀攸の様子にただならぬ気配を感じたのか、曹操も真剣な表情で問いかける。
「実はっ……」
 ここまで走ってきたのだろう、切れ切れの呼吸を整えようともせず、荀攸は矢継ぎ早に説明をした。

―・―・―

「……」
 荀攸の言葉を聞き、曹操・夏侯淵の表情が曇る。
 しばしの沈黙。
「仕方がないね」
 その沈黙を破ったのはまたしても曹操だった。
「作戦は変更だ!」
 そう言いながら荀攸、夏侯淵、その他武将に素早く指示を出す。
 曹操の命を受け、激しく動き回る自軍の兵を見渡しながら、曹操は何度目になるのか、徐州の城へと目を向ける。
 そしていかにも残念そうに、小さく一言を呟いた。
「残念だよ劉備君……我が『天』はまだ、君との決着を望まないようだ……」

―・―・―

徐州城内・牢屋――――

「……まっず」
 運ばれてきた食料を口に運ぶなり、夏侯翔はそう吐き捨てた。
「話になりませんわ! 何ですのこれ? 私に犬の餌を食わせるおつもり?!」
「何だとテメー!! 自分の立場分かってんのかよ!!」
 夏侯翔の物言いに、食事を運んできた張飛の怒りが爆発する。
「ええ分かっていますわ! 分かっていますとも! どこぞの猿に連れ去られた哀れな捕らわれの美しい姫君ですわ!!」
 そんな張飛と夏侯翔を見ながら、劉備は大きくため息をつく。
「自分で美しいとか言うかよ……」
「黙りなさい! この無礼者!!」
 噛み付かんばかりの勢いで劉備にも怒鳴りつけ、その場に立ち上がる。
「がぁー!! もう我慢なりませんわっ!! こうなったら城壁から直接曹操様に助けを求めてやりますわ!!」
「なっ! テメ何考えてぐおっ!!」
 止めようとした張飛の顔面に回し蹴りをお見舞いし、夏侯翔は牢屋を飛び出した。
「……はぁ」
「やれやれですな」
 劉備と関羽は大きくため息をつき、夏侯翔の後を追った。

―・―・―

「ぐはっ!」
「ぐおっ!!」
道を阻もうとする兵たちを軽くあしらい、夏侯翔は城壁へとたどり着く。
「曹操様っ!! 夏侯淵伯父様っ!! 私はここですわっ!! 助けてくだ……!!」
 そこまで叫び、夏侯翔は突然固まる。
「うおっ! マジでここまで来てやがる!!」
 彼女を追って、劉備たちも城壁にたどり着いた。
「おいおい、夏侯の姫さんよ……あんまり無茶す……!!」
 夏侯翔に声をかけようと彼女に歩み寄った劉備は、外の様子を見て夏侯翔同様突然固まる。
「あ? どうした兄貴」
「兄者?」
 劉備の様子を不思議に思い、関羽・張飛も城の外へ目をやる。
「なにぃっ!!」
「なっ」
 張飛も、珍しく関羽も、劉備たち同様声を詰まらせる。
 それもそのはず。
「オイオイどうなってんだこりゃ……昨日までびっしり徐州城を囲んでた曹操サンの軍が……」
「一人残らずいなくなってやがる……」
 張飛の言葉通り、昨日まで今にも徐州を陥落させんと城を包囲していた曹操軍が、一晩のうちにその姿を消していた。

―・―・―

 物見や斥候に話を聞いた劉備は、複雑な表情で腕を組む。
「まっさか、あの“呂布”に助けてもらうことになるとは思ってなかったぜ」
 そう、徐州を今にも攻めようとしていた曹操軍に突然告げられた火急の知らせ。

 呂布が陳留郡の太守・張バクと結び曹操の根拠地・エン州を奪い取った

というのだ。
「しかし張バクと曹操は旧知の仲、その張バクが曹操を裏切ったというのは……」
「あぁ、その辺はなんでも『陳宮』とかいう呂布軍の新しい軍師が一枚噛んでるらしいぜ」
 関羽の疑問に、劉備はすかさず答えた。
「いやはや本当に驚いた、劉備殿はこのようなツキまでも味方にされておるのか」
 ひとまず自らの領地の安全を知り、終始険しい顔をしていた徐州牧の陶謙も少し穏やかな表情を取り戻していた。
「いやまぁ、お互いに命拾いして何よりだ、陶謙サン」
「あぁ、本当に感謝しております……劉備殿、立て続けのお願いで申し訳ないが、しばらくはこのまま豫州の刺史として小沛を守っていただけるか?」
「あぁ、それはこっちも助かる」
 陶謙と一通りの会話を済ませた劉備だが
「……でだ」
 と、急に難しい顔をして後ろを向く。
「どうする?」
 といいながら部屋の隅を指す。
「……」
 そこにいたのは、さっきまでの威勢のよさが嘘のように静かになってしまった夏侯翔。

 

 

「なんかいろいろ抜けてるよな……」
「……仕方なかったにせよ、結果的に曹操殿に裏切られたようなものですからな」
「まぁとりあえずうちのバカがさらってきたんだ……しばらくはうちで面倒見るしかねぇだろ」
「……」
 劉備と関羽の会話を聞きながら、張飛は一人暗い顔をしていた。

―・―・―

小沛――――夜

 陶謙から小沛を任された劉備たちはそちらへ移動し、今後のことを考えることにしていた。
「……うぅ」
 今更逃げ出す事も出来ないだろうと、劉備は夏侯翔を牢に入れず城の一室で保護することにした。
「何でわたくしがこんな目に……」
 散々泣き喚いたのだろう、目を真っ赤に腫らしながら夏侯翔は小さく呟いた。
 一体戦というものがどんなものか、自分はただそれが気になってついてきただけなのに……
「それをあの野蛮な猿ときたら!! ほんっとうに許せませんわ!!」
「あーそうかよ」
「!?」
 いつの間にそこにいたのか、夏侯翔の言葉に張飛が答えた。
「なっ!! なんですの猿!! 私に何か用ですの?!」
「いい加減その猿って呼び名やめろっつーの、俺は張飛だ……ホラヨ」
 ゆっくりと部屋に入ると、張飛はそう言いながら夏侯翔に何かを渡す。
「何ですのこれ?」
「今から城を出るぞ、支度しろ」
「え?!」
 突然の張飛の言葉に、夏侯翔は言葉を失う。
「何を言って……」
「だから今から曹操のところに連れて行ってやるっていってんだよ!!」
 夏侯翔の言葉を遮り、張飛が怒鳴る。
「元はといえば俺がテメーを連れてきたせいだ……このままじゃ後味悪いし……そのアレだ、正直悪いと思ってんだよ」
「……なっ、何を言っていますの? ここから曹操様の居るところまでどれだけあると……無事にたどり着けるという保障なんて……」
「何があろうと!! お前は俺が守ってやる!!」
 また夏侯翔の言葉を遮り、張飛がいった。
「どんなやつが邪魔しようと、何があろうと……俺がお前を曹操のところまで連れて行ってやる!!」
「でも……もし私を無事に送り届けてもあなたが無事に帰れるなんて」
「そんなこといいからきやがれ!!」
「きゃぁっ!!」
 張飛は曹操陣営から夏侯翔を連れ去った時のように彼女を軽々と抱え上げると、部屋を後にする。
「ちょっ!! どうして捕虜一人のためにそこまで出来ますの?! あなたはっ!!」
「……う」
 肩に乗った夏侯翔に言われ、張飛は言葉に詰まる。
「後味が悪いとか普通に申し訳ないと思うくらいでそんなこと出来るとは思いませんわ……」
「……だから」
 張飛はやはり言いにくそうに答えない。
「それを聞かない限り安心して一緒になど行けませんわ! もしかしたら誰も見ていないところで邪魔になった私を殺すかも……」
「あーもうそんなんじゃねぇよ!! 惚れたんだよテメーによ!!」
 さらに夏侯翔の言葉を遮り、張飛はやけくそのように言い放った。
「……は?」
 まったく予想外の言葉に、夏侯翔は完全に固まる。
「聞こえたんだろ!! はじめてみた時にテメーに惚れちまったからさらったし、惚れたテメーがそんな顔してんの気分よくねぇからんなことしてんだよ!! 何度も言わせんじゃねえよ!! 分かったならさっさといくぞ!!」
 夏侯翔の方は一切見ず、張飛は彼女を抱えたまま馬小屋のほうへ行く。
「よし、行く……」
「やっぱり行けませんわ」
 今度は張飛の言葉を遮り、夏侯翔が口を開いた。
「テメ今更何言って……」
「よく考えたら!! このままやられっぱなしで帰ったとあれば、わが夏侯一族の名に泥を塗ることになりますわっ!!」
 張飛の事など一切聞かず、夏侯翔は続ける。
「ですから!! 私はあなたたちに一泡吹かせてから堂々と曹操様や伯父様の元へ帰ってやりますわ……」
 自らに割り当てられた部屋に戻りながら、夏侯翔は一度だけ張飛に向き直り
「それまで、せいぜいお世話になりますわ! “張飛殿”!!」
とだけ言って本当に部屋へと帰ってしまった。
「……は?」
 なんだかんだでいつの間にかその場に一人残された張飛は、大きくため息をつき
「女ってわからねー」
 小さくそう呟いた。

 かたや劉備軍の主君の義弟、かたや曹操軍主君親戚家の姫。
 その大きな壁を乗り越え、後にこの二人は結ばれることになる。

 

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