〜虎牢関の戦い・後編〜

第2話「画策」

 

「牛輔殿の隊が公孫サンの軍に苦戦している模様です!!」
「……」
董白は董卓軍と曹操軍の激突を輿の中からぼんやりと眺めている。伝令の言葉を聞いているかどうかも怪しい。
「と、董白様?」
「はじめから期待などしていませんでした。牛輔には“下がりなさい”と伝令を出しなさい」
董白はやはり戦場を見つめたままつまらなげにそう呟く。
『なぜ?』
董白の頭の中を駆け巡るのはそればかりだった。
「何故連合軍にここまで苦戦をするのでしょう?」
今董卓自身が率いている軍は約二万。他はすべて関の外に出している。
 関を抜けてきた曹操は遊軍らしく、数は五千ほどだった。
 連合軍全体も、再び水関に陣を敷いた李カクらへの対策に多少兵を裂いてるはず。全体的な兵数で負けていても、呂布の存在による連合軍の士気低下のことを考えるとこちらが断然有利なはず。
そしてこの場の曹操軍との戦いに関しては、こちらの兵は相手の約四倍ある。
「数で勝っていて何故押せないのですか」
董白はいらいらとした面持ちで戦を眺めている。
 西涼の董卓軍が曹操などというわけの分からないものが動かす軍などに負けるはずがない。まして数で勝っているのだ。
 いくら率いる武将が強かろうと何倍もの兵力を押せるものか……。
「……数ではなく、兵の質でもない」
ならば
「地形……ですか」
董白は思い至る。
 水関と虎牢関、ともに難攻不落の関と名高いが、やはり守備のためにあるもの、一度突破されてしまえばもう「守るもの」としては使い物になどならない。
 そしてこの場の戦いは、両側を崖で囲まれたこの地形で兵数を生かせない。
「考えましたね、曹操おじ様……わずか五千の兵で敵の本隊に突撃するのは、それなりの考えがあってということですか……」
ならばどうするか……
「あ、簡単じゃないですか♪」

 


董白はすぐに思い至った、その顔は美しくも邪悪にゆがんでいる。
「場所が悪いのなら……変えればいいだけの事です」
結論が出た董白は可憐な笑みを浮かべて傍に控える兵へ命令する。
「直ちに李儒をここへ呼びなさい」
「は」
部下はすぐに馬を走らせた。

 李儒は不安の色を隠せなかった。
董白が自分を直々に呼んだのだ、必ず何かある。
 李儒は、董卓の孫だからというわけではなく“董白”という少女個人を純粋に恐れていた。
 時には董卓を超える残酷なことを思いつき、笑顔でそれを命じるのである。『毒の軍師』と恐れられる李儒でさえ背筋が寒くなることがある。
『一体何を……』
考えているうちに董白の元についた。
「来ましたね、李儒」
「は、何の御用でしょう」
肩の傷の痛みも忘れ、李儒はひざまずく。
「“敗将には無慈悲な死を”」
董白は突然そう呟いた。
「……」
いくら董卓軍の参謀だとしても、それは例外ではない。確かに曹操に策を看破された時点で自分の命は尽きている、李儒はそう考えていた。
「しかし、条件次第で許します」
「え?」
意外な言葉に、李儒は顔を上げる。
 そこには、限りなく可憐で、邪悪な笑顔を浮かべた少女がいた。
 そして少女はその顔を崩すことなく、口を開いた。

「な……なんと、申されました……」
董白から話を聞いた李儒は、顔面を蒼白に染めている。
「二度は言いません、聞こえていなかったのならあなたはもう無用です。今ここで殺します」
 本気だ、と董白の目を見た李儒は覚った。
「分かりました……先ほど董白様がおっしゃられた事、董卓様へは私から献策いたします」
低く頭を下げながら、李儒は呟く。
 それを聞いた董白は満足そうにうなずく。
「そのためには、一度曹操おじ様の軍を関の外に押し出し、戦を仕切りなおす必要があります」
「それは私にお任せください」
「ならば私は都に戻り準備をしていましょう」
戦場にいることにあれほど執着していた董白が、そう言ってあっさりと帰る支度を始める。
「牛輔が帰ってきたら都へ戻ります。彼の今回の失敗は私を都まで護衛することで許しましょう」
そう言って董白は戦場から遠く下がっていった。
「……なんと、恐ろしい」
 董白が言っていたことを思い出し、李儒は心の底からそう呟いた。

―ガガガガガッ―

「董相国!!」
軍を指揮していた董卓に李儒が声をかけた。
「何だ」
李儒は拝礼をしながら言う。
「今、この戦われわれの旗色はあまりよくありません。理由としては難攻不落の虎牢関を守る“門”として控えさせていた呂布が突破され曹操の遊軍が関の中へ入ってきたこと、三人がかりではありますが呂布と互角に戦えるものがいたために連合軍の士気が思ったよりも下がらなかったということが挙げられます」
「……」
すでにわかっていることなのだろう、董卓は何も言わない。
「さらに万が一虎牢関を捨て、都へ引き返すにしても……この先の洛陽も都としては守りにくいです」
「何が言いたい」
董卓の問いに、李儒は少し間をおいた後
「遷都……です」
そう呟いた。
「遷都……」
「そう、今すぐにでも要害の地である長安へ、あそこは洛陽などに比べずっと守りやすいと思われます」
「帝や民はどうする……」
李儒は迷うことなく答える。
「これは遷都……長安に都を置かれるにしても帝も民も必要です。ならば全て無理矢理にでも連れて行くべきでしょう」
董卓はさほど驚いた様子は無い。
「帝は我らが言うままに動くでしょうし、民も拒むものは全て殺し、洛陽に火を放つ……そうすれば動かざるを得ません」
「なるほどな……」
董卓はしばらく考え込んでいたが
「……白か」
とだけ呟いた。
「!!!」
全てを見透かす目で睨まれ、李儒は言葉に詰まる。
 しかし、董卓は口の端をゆがめて呟いた。
「面白い、事は全てお前に任せる……直ちに準備せよ」
「……」
李儒はやはり何も言えないでいる。しかし、董卓の目に睨まれたときから不安など消えていた。
 どこまでも澄んだ邪悪な瞳。自分はこの瞳に惹かれ董卓の参謀になったのだ。
 その董卓が“良し”と言ったのだ、ならば自分の役割はおのずと決まってくる。
「分かりました、では遷都の準備のためにも……この戦を一度仕切りなおす必要があります。そのために“奥の手”を使うことをお許しください。あわよくばその“奥の手”で曹操軍を抹殺する事も出来ます」
「出来ればまだ温存しておきたかったが仕方ない、許す」
董卓はそれだけいうと、戦場へ視線を戻した。
「……」
いつの間にか、李儒の瞳から、先ほどの焦りが消えていた。
「そうだ……私は董卓軍の参謀『毒の軍師』李儒……わが『毒』はまだ尽きておらぬ」
そう呟いて歪んだ笑みを浮かべた。

「退けっ!!! 命を無駄にするだけだ!!!」
虎牢関から敵陣へと突っ込んだ張遼は、速度を緩めるどころか、さらに速度を上げて駆け続ける。
 ただ一騎とはいえ、連合軍には神風と化した張遼をとめる術が無い

―ビュン!!!―

「がぁっ!!」
すでに何人の兵を切り殺したか……
「四十五人……」
張遼は小さく呟いていた。
 張遼は戦場で殺した人数を、その戦の間は決して忘れない。普通の武人なら「数えるだけ無駄」と張遼のことを笑うだろう。
 しかし
「私は武人として敵の命を奪った……」

ならば、せめて戦の間自らが奪った命の数を忘れず、その命に敬意を表するのは当然のこと

 張遼はそう考えていた。
そしてその戦が終わり、死んだものへ黙祷をささげると、張遼はその“戦”のことを全て忘れる。
 それが彼なりのけじめの付け方だった。

―ザン!!!―

「ぎゃあ!!」
四十六人、すでに連合軍のかなり深くまで来ている。本陣はもうすぐだろう。
「このまま突っ切る!!!」
声を上げ、薙刀を再び構えなおした。
「?!」
その張遼の瞳に、一人の武将の姿が映った。
「ひ!!」
武将も張遼に気がついたらしく、その顔を恐怖で染め上げていた。
「それなるは盟主・袁紹殿の弟、袁術殿とお見受けする!!!」
張遼はそう言って武将・袁術(字は公路)のもとへ一直線に走る。
「させるか!!」
「うおぉぉぉ!!」
「てぁぁ!!」

―ザザザン!!!―

張遼は、袁術を守るように立ちはだかった三人の兵士を斬り殺す。
 四十九人……
「五十番目の首級として不足なし!!!」
袁術を睨みながら張遼は薙刀を振り上げる。
「うわぁあ!!」
袁術は完全に戦意を喪失している。否、もとから戦意など無かったのか。
「覚悟!!!!」
張遼は逃げようとする袁術の背に、無慈悲な一撃を繰り出した。

―ギィン!!!―

「?!!」
しかし、その攻撃は寸前で止められた。
 張遼の攻撃を受け止めたのは美しき青龍刀、それを操るは立派な髭を蓄えた偉丈夫。

―ギン!!―

「!!」
張遼はその男を知っていた。先ほど虎牢関の前で呂布と戦っていた三人のうちの一人。
 速くも重い呂布の攻撃を受け止め、さらに弾き返していた男。
「先ほどは名乗られたのに名乗り返せず申し訳ない、某は公孫サン殿の客将・劉備玄徳が義弟、名は関羽……」
構えていた青龍刀をゆっくりと降ろし拝礼をしながら関羽は口を開く。
「……」
装備はどう見ても足軽。しかし
 自分の一撃を受け止めた……それだけで張遼はこの男が油断のならない男と分かった。
「そこを退いてもらおう」
「それは出来ぬ相談だ」
関羽はゆっくりと青龍刀を上げる。
「某も虎牢関に残してきた義兄弟たちのことがあるので時間が無い、参る!!」
それだけいうと、関羽は馬を走らせた。


「!!」
張遼も馬を動かす。

―ガガッ!!―

関羽の馬はどう見ても駄馬、馬術も自分の方が上という自負があった。
「せぇい!!」
張遼は迷わず打ち込んだ。

―ギン!!―

しかし関羽は張遼の攻撃を受け止める。
「ぬん!!」

張遼の薙刀を弾き、関羽の青龍刀が空を裂く。
「!!!」
張遼は馬を走らせて回避した。
 無理な体勢から受けられるような斬撃ではなかった。
「見事!!」
張遼は再び攻撃を繰り出す。
 関羽はやはりそれを受け、弾き返すと反撃をしてきた。
『なんと言う完璧な防御……そして反撃!!』
打ち合いながら、張遼はひそかに舌を巻いた。
『呂布殿の攻撃さえも受け止めていたのだ、自分の攻撃など掠るはずもないか』
張遼はそう考え、しかし引かなかった。

―ガクン―

馬首を低くして張遼は小刻みに動く。
「ぬ!!」
比較的大振りな関羽の攻撃ではこの動きは捉えられなかった。
『華雄といい呂布といい、そしてこの張遼といい、世の中に人は多いものだ』
関羽は青龍刀を振るいながら考える。
 その顔には少なからず焦りが生まれている。
『このようなところで時間をとられている場合では……』
関羽としては一刻も早く張遼を打ち倒し、呂布と戦う義兄弟の元へ戻りたかった。
『しかし』
関羽は、今すぐにというのは無理だということを、張遼と刃を交えた瞬間に理解していた。
『この男、簡単に討ち取ることなどできぬ……』
焦りが関羽に隙を生み出していく。
「動きが荒くなられたぞ!! 関羽殿!!!」
すさまじい馬首の返し方で方向を変えた張遼の一撃が関羽へ襲い掛かろうとする。
「く!!」

―ガキン―

なんとか攻撃は弾き返したものの、反撃をする余裕がなかった。
「関羽殿!! 我とて一刻も早くこの場を突破し連合軍本陣を叩く必要がある!! 時間が無いのはこちらも同じ!!!」
張遼はそう言いながらさらに関羽へ追撃をかける。

―ガッガッ!!!―

「く!!!」
張遼の攻撃が関羽の肩を掠める。
「せぇぇぇい!!!」
さらに、追撃のため張遼が刃を返したときだった。

―ヒュゥゥゥゥゥン!!!!―

「!!!!」
一筋の光のような鋭さで、一本の矢が張遼めがけて飛んできた。
 張遼は関羽への攻撃を止め、とっさに手綱を捌いて矢をかわした。
 矢の飛んできた方に目をやると、そこには「孫」の旗を掲げたわずか千ほどの一軍があった。
 さらにその一軍から剣を抜いた一騎が、張遼に向かって突進してきた。
「なんだと?!!」
ありえない……張遼はそう思った。今自分にむかってきているのは、見間違えるはずも無い。
「孫堅?!!」
水関に再び陣を構えた李カクたちに当てられていたはずの男……“江東の虎”孫堅だった。

「ふん」

―ヒュッ―

孫堅は張遼とすれ違いざまに剣を振るう。
「!!」
張遼はすかさずそれを弾き返す。
「関羽殿! ここは私に任せて劉備殿たちの元へ戻られよ」
孫堅は再び張遼へ切りかかりながら叫んだ。
「かたじけない!!」
「水関で受けた恩、これで返させていただくぞ!!!」
孫堅になら任せても大丈夫だと思った関羽は、迷うことなく劉備たちの下へ馬を虎牢関へと向かわせた。
「何故だとは聞くまい!! 江東の虎・孫堅殿!! 我が前を阻むというのなら切り伏せるのみ」
張遼は関羽との一騎打ちに少しの未練を残しながらも、そう言って薙刀を振るった。

「ハッ!!」
孫堅はやはり涼しげな動きで剣を振るう。
「軍の大将が先頭に立たれ一騎打ちとは!! 果敢なことだ!!!!」
張遼は孫堅の剣を受けながら声を上げた。
「私も元は無頼の徒、それなりに勇猛にもなろう」
孫堅はさらに剣を振るいながら呟く。
「しかし将が兜すら身につけられぬとは何事ですか!!」
張遼はさらに声を上げる。
 たしかに、今孫堅の頭は兜どころか巾さえかぶされていない。短めの髪が涼しげに風を受けてなびいているだけだった。

「……」
確かに他の者から見たら、戦場で兜を身につけないとは無謀すぎるだろう。
 しかし、孫堅はこれから先も頭を守るものを身につけるつもりは無かった。
思い出すのは一人の男……
『祖茂……』

祖茂(字は大栄)は、程普、韓当、黄蓋と並ぶ孫堅旗揚げ当時からの武将・四天王の一人“だった”。
 そう……今、祖茂はいない。
 水関の戦いの折、華雄の軍に緒戦は勝利した孫堅軍だったが、味方の孫堅の力を恐れた袁術から兵糧を絶たれ、士気が徐々に下がっていった。
 待てども待てども兵糧はこず、孫堅軍は戦っていないのに危機に陥っていた。
華雄は持ち前の果断さでそこを付いた。夜にまぎれて孫堅の陣を攻撃したのだ。
 もちろんその夜襲を防げるような士気などすでに無く、孫堅軍は撤退を余儀なくされた。 華雄の軍に徹底的に追撃され、散り散りに逃げるしかなかった。
 孫堅も四天王たちとはぐれ、ただ数騎で逃げていた。
すぐ後ろには華雄自身が迫っていた。
 草木を食み、軍馬を潰して少しでも飢えを忍んでいた孫堅だったが、そんなものがその場しのぎにしかならなかったのは当然で、体に全く力が入らなかった。
ここまでか……孫堅がそう思ったその時だった。
「殿、ご無礼を!!!」
突如どこからともなく現れた一人の男が、孫堅の頭の紅い頭巾を奪い取った。
「祖茂?!」
「私などにかまわず!! 殿はお逃げくだされ!!!」
孫堅が気がついたときには、男・祖茂は孫堅の紅い頭巾をその頭に被り、大声で声を上げた。
「我こそは孫堅文台!!!! “江東の虎”の首、取れるものなら取ってみよ!!!!!」
 月の光に双剣をきらめかせ、孫堅の紅い頭巾を被り、孫堅の身代わりとなった祖茂はまさに獅子奮迅の活躍で敵を蹴散らしていた。
 しかし
「ヒャハハハハハハハ!!!!!!」

―ザン!!!―

逃げる孫堅が一度だけ振り向いたとき、その瞳に映った祖茂には首がなかった。
 董卓軍の華雄が悪鬼のごとき笑い声を上げ、薙刀で祖茂の首を貫き掲げていた。

そこからどうやって無事に逃げたのか、孫堅は覚えていない。
“自分が祖茂を死なせた”……その気持ちがどこまでも自分を蝕み続けた。
それ以来……孫堅は頭を守るものを何一つつけていない。
 祖茂へ申し訳が立たなかった、などという理由ではなかった。

“同じようなことで助かる事は二度と無い”

これは孫堅が自らに課した“誓い”であり“戒め”だった。

 

 

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