〜虎牢関の戦い・中編〜
第2話「看破」
―ガキン―
―キィイン―
虎牢関前で繰り広げられる激戦。
振るわれるは蛇矛、青龍刀、そして双剣。
それを受けて返すは方天画戟。
白刃が空を裂き、激突した刃からは火花が飛び散る。
戦場を見守るものはその無駄のない動きの全てにただ魅せられていた。
「……」
董卓軍も連合軍も、眼前の戦いに目を釘付けにされていた。
劉備、関羽、張飛は三人がかりで呂布と戦っている。
しかし、それでも人中の鬼神・呂布は倒せない。
むしろ、呂布は人数の不利などものともせず三人を圧倒していた。
「さっすが!!」
劉備が軽口を叩くが、その表情には余裕がない。
「おい益徳!! 走り回るの疲れた!! お前の馬よこせ!!」
「ざけんな!! てめえがバカみたいな方法で馬乗り捨てたんだろう!!」
確かに、と呂布は思う。
「仕方ねぇだろ!! あんな痩せ馬じゃああまりの遅さで眠くなってくるんだよ!!」
舞うような剣捌きで双剣を振るい、劉備は張飛とくだらない問答を続ける。
「じゃあその辺の武将から適当な馬かっぱらってこいよ!!」
「三対一でこの有様だぞ!! 今俺が抜けて大丈夫なのかよ!!」
あっさりと自分たちの不利を認めている。
どうやら先ほどの「雌雄一対を使った謎の攻撃」以外には特に奥の手は無いようだ。
「俺は一人でも大丈夫だ!! さっさと行け!!」
蛇矛を振るいながら、張飛は器用にも劉備へ向かってシッシッと手を払う。
「……」
耳に入ってくる雑音を無視しながら、呂布は考えをめぐらせる。
何故倒せない、と。
先ほどから三人全ての攻撃を全て受けては弾き、反撃する。それでも三人のうち一人も倒れない。
今までこれほど長い間戦ったことのない呂布は、ただその理由を考えていた。
人数の不利ではない。人数の差など、呂布にとっては何の意味もない。束になって呂布にかかり、散っていった数多の兵がそれを証明している。
―ギィン!!―
もう何度目になるのか、呂布は苦もなく劉備の双剣を弾き返す。
最初は剣が二本に増えるという奇怪さに何度か攻撃を許したが、それがあらかじめ「双剣」と分かっていたら全く問題は無い、対処はいくらでもある。
そして青龍刀の男はどちらかというと“守り”。蛇矛の男は“攻め”のみ。
三人の性質もほぼ完全に見切っている。
―ビュン―
―ガキン!!―
劉備の攻撃の隙を突き、大矛を繰り出したが、これも何度目になるのか、青龍刀の男に阻まれた。
「……なるほど」
そうした何度かの攻防の末、呂布は彼らの強さを見抜いた。
比較的大振りの攻撃をする青龍刀と蛇矛の二人の男。
この二人だけなら呂布は何の問題も無い
誰もが呂布を「力」だけの男と勘違いしているが、決してそんなことは無い。
彼は「力」だけでなく、技を繰り出し、敵の攻撃を回避する「速さ」や、守り受け止め、弾き返す「強固さ」も併せ持っている、いうなれば「戦うモノ」としての全てが備わっている。
そんな呂布ならば、関羽と張飛の攻撃を弾いてその二人を薙ぎ殺すことはそんなに難しいことではない。
しかし、二人とも倒せない。
―タタタタタタタタッ―
―ギィン!!―
攻撃を弾かれ、隙が出来た関羽へ攻撃しようとした呂布へ、劉備が双剣を繰り出した。やむなく呂布は受けに回る。
呂布は悟った。
今、自分は『“個々”三人の人間』と戦っているのではなく『三人で“一人”の人間』と戦っている。
ということに。
今になってようやく分かった。
戦場では無謀としか思えない、双剣の男が鎧一つ身につけない格好の意味が。
双剣の男ははじめから守るつもりなどないのだ。
今までも彼はこちらの攻撃がきそうになると“守る”のではなくそれ以上の速さで“攻める”ことでこちらの攻撃を防いでいた。
それだけでなく「雌雄一対」の正体がばれてからのこの男の攻撃には、まったく殺気がこもっていない。
それこそ、こちらの攻撃をただ“攻める事で防ぐ”だけが目的であるように。
“攻め”と“守り”を完全に捨て“速さ”にすべての重点を置いたあまりにも極端な立ち回り。
双剣の男のその戦法が大振りの攻撃をする二人の男の隙をうまく埋めているのだった。
もちろんそれだけではない、それだけならば呂布はすでに劉備を倒し、その穴埋めを潰している。
そこで呂布は新しい結論に行き着く。
ここに至ってようやくこの青龍刀と蛇矛の男が持つそれぞれの“性格”が生きてくるということに。
“攻め”に重点を置いている(どころか攻めることしか考えていない)蛇矛の男は、いつ強力な一撃が見舞われてくるか分からないので常に警戒せねばならない。これは十分な圧力になる。
そしてそんな“守り”を完全に捨てている双剣と蛇矛の男に常に気を配り、こちらの攻撃を確実に弾き飛ばす“守り”を主体とした青龍刀の男。
劉備は鎧を纏っていないのではない。この二人が、劉備の何よりも強固な“鎧”だったのだ。
それらすべてがうまく合わさり、融合して、この『三人で“一人”の人間』はようやく完成したのだろう。
並の努力で身につく連携ではない。おそらくこの三人はともに戦い続けるうちに、いつの間にか、それも全く違和感なくこの戦い方に行き着いたはずだ。
正確には、青龍刀と蛇矛を持つ、二人の男の“個人”として十分な武力を誇る武の翼を双剣の男が見事にまとめているという感じだった。
誰かと肩を並べて戦ったことのない呂布とは全く対極の戦い方だった。自分も双剣の男のような者に出会えていたら、このような戦いが出来たのだろうか……とも考えた。
しかし、呂布は分かっている。“思っている”のではなく“分かっている”。
どのような相手をも圧倒してこその“最強”。
そしてその“最強”こそが“呂布奉先”。
“最強”の自分に敗北というものなどないということを。
「フッ……」
遥か遠く離れた断崖からしばらく、曹操と目をあわせていた賈クだが、不意に曹操から視線をはずす。
「……やはり違いましたか」
賈クのそんな様子を見て夏侯淵が呟く。
賈クは先ほどから合図らしいものを何一つせず、そもそも戦場を見てすらいない。これでは軍の統率など無理な話である。
「そうだね、彼は確かに優れた軍師のようだが、今董卓軍の指揮を取っているのは彼ではない」
曹操も賈クから何の未練もなく視線をはずすと、今眼前で戦いを繰り広げている兵士たちをぼんやりと眺め始める。
「淵……弓を」
「え? あ、はぁ」
そして何を思ったのか、隣の夏侯淵から弓矢を借りる。
「ククク……気付いているな」
再び曹操へ視線を戻し、彼の動きを眺めつつ、賈クは小さく呟いた。
「ならばこれ以上、こんなところに用は無い」
賈クはそう呟いて戦場に背を向ける。
そして
―トッ―
賈クは当たり前のように、何のためらいもなく体を横にずらす。
次の瞬間。
―ヒュン!!―
先ほどまで賈クが立っていた場所を一本の矢が通り過ぎていく。体をずらさなければ確実にその心臓を射ち抜かれていただろう。
「ククク……」
賈クは笑いを押し殺しながら曹操へ振り返る。
そこには自分から視線をはずしていたはずの曹操が、自分にむかって弓を構えていた。
曹操自身、矢が当たるなどとは露ほども思わなかったらしく、むしろ予想通りのことの運びに満足そうな顔をしている。
「ククククク……ハハハハハハ……」
賈クは手で額を押さえながら、押し殺しきれない歓喜の笑いを漏らし続ける。
やがて
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!」
押さえていた喜び全てを解放したように、賈クは声を上げて笑った。
「そうだ曹操! 董卓様からは決して感じられないこの危機感!! 俺と同じようにその身のうちに秘められた“心の闇”!! それが俺を、この賈クをどこまでも惹き付けて已まないんだ!!!」
氷の瞳に“狂気”という名の炎を燈し、押さえられない“喜び”という名の暗黒に身を委ねながら、賈クはその場を後にした。
“いつか……その闇で俺を殺してみろ……”
曹操の耳に、そんな呪詛が届いたような気がした。
「ち!! 逃げたか!!」
夏侯惇は賈クの消えた崖のほうを見て、悔しそうに吐き捨てた。
「気にすることは無い、彼とは近いうちにまた会えるよ」
曹操は満足そうにそういった。
そしてすぐに表情を改めると
「……さて」
といいながら感情を切り替えた。
「諸君、そろそろこの“魔王の用兵”とやらを打ち崩そうか」
曹操はそういいながら再び弓に矢をつがえる。
「やはりお前、とっくに分かっていたんだな」
夏侯惇がいかにも何か言いたげな表情をしていたが、曹操はそれを無視して夏侯淵へ語りだす。
「董卓軍には、有名な軍師がいるそうだね」
「はい……」
夏侯淵はうなずく。
「一人は未だ表立った活躍はしていないが『闇の軍師』といわれる賈ク文和。先ほど断崖にいたのはおそらく彼だろう」
「そうですか……」
夏侯淵はやはりうなずく。いや、うなずくことしか出来ない。
「そしてもう一人、董卓軍には有能な軍師であり、董卓の懐刀でもある参謀がいるらしいね」
弓を天に向けてゆっくりと引き絞りながら曹操は続ける。
「『毒の軍師』李儒……ですね?」
「正解だよ淵……ここまでで八十点だ」
「おい、残り二十は何なん……」
「もう何も話さないで目の前の軍相手に戦ってきたまえ惇、三点減点だ」
これで夏侯惇の点数は四点になった。何の点数かは謎である。
『毒の軍師』李儒。先帝・劉辯とその母・何太后を毒殺したとして有名な董卓軍の参謀。しかし、彼はただそれだけで『毒の軍師』と呼ばれるわけではない。
彼の策は一度かかったら抜け出せなく、真綿で首を絞められるような狡猾な手段が多い。そして彼の言は巧妙で並の人間では彼のような男を飼いならせない。ゆえに彼は生み出す策も、その口から放たれる言葉も人を害する。彼は存在そのものが“毒”なのだった。
「そうか!! ならばこの軍を指揮しているのはその李儒という男だな!! どこにいる!!」
「ここまでの話の流れで分かりきったことをいちいち口にするのはやめたまえ、一点減点だ。そしてどこにいるのか考えもしないとは、さらに一点減点だ」
残り二点。もはや夏侯惇は何も言わなかった。
やはりそんな夏侯惇を無視して曹操はゆっくりと天へ向けた弓を下ろしていく。
「すばらしいよ、ここまでの用兵……素直に賞賛しよう」
曹操は今でも沈黙を守っている董卓へとその矢先を向ける、が、すぐに逸らした。
つまり、今の言葉は董卓へ向けて放たれた言葉ではない。
「……」
夏侯淵は黙って曹操が向ける矢先を見つめている。
崖の上か、はたまた岩の陰か、それとも他の死角が存在するのか。
夏侯淵は固唾をのんで見守る。
―ツツツツツツ―
やがて曹操の矢先は戦う兵士たちへ向けられた。
「?」
夏侯淵は首をかしげる。
が、曹操はすでに狙いを定めていた。
「!!」
そこで夏侯淵も気がついた。
確かにそう考えると董卓軍の謎の用兵術全てに説明がつく。
「さぁ、これが私からの賞賛だ」
そう呟きながら、曹操は完全に狙いをつけ
「受け取りたまえ……」
―ヒュッ!!!!―
つがえていた矢を一気に射ち出した。
―ヒュゥゥゥゥゥゥゥン!!!!―
矢は迷いなく、一直線に飛んでいった。
「!!」
―ドッ!!―
気がついたときには、曹操の放った矢は董卓軍の数いる一人の兵卒の肩に立っていた。
「ぐ!!」
矢を受けた兵卒は落馬しそうになるのを何とか耐え、傷口を押さえる。
その瞬間、今まで完璧な統率を保っていた董卓軍が大きく乱れ始めた。
「り、李儒様!!」
矢を受けた兵卒の周りにいた他の兵たちが声を上げる。
「……李儒君」
矢を放った曹操は最後に、兵の中にまぎれた、賞賛を向けるべき相手の名を呟いた。